朝の光の中を遠ざかる複数の影がある。足元に広がるのは瓦礫の山、鎮火こそしたものの荒れ果てた光景はとても国内有数の軍事施設とは思えない。僅か一晩で殲滅されるとは本当に『ガンダム』の技術はすごいものだとほくそ笑む。
 煙幕の所為で追撃できない軍隊に舌打ちはしたもののゲイリーは意に介していなかった。
 どうせ最後に勝利を掴むのは自分と決まっているのだ。雑魚が何処で何を如何しようとも気にしてやる道理はない。
 グッドマンがでかい腹を揺らし顔を真っ赤にしながら駆け寄ってくる。
「おい、ロボットはどうした!?」
「破壊しました」
「ならば、奴は―――………」
「青年ならばあそこです」
 くい、と顎で空の果てを指し示す。途端に更なる怒りに顔を朱に染めた将軍は「追跡隊を組織しろ!」と叫びながらすぐさま管制室へと取って返した。立場上、ゲイリーは彼の部下である。本来ならばすぐさま後を追うべきであった。
 だが、そうはせずに、独自に連れてきた部下が合図を送ってきたのを確認して持ち場を離れる。
 案内されたのはロボット兵が倒された塔のまさに真下だった。他の兵士たちが近づかぬよう黒服・黒眼鏡の部下たちがそれとなく人払いをしている。こちらですと足元を指し示されて赤毛の男は口角を上げた。
 瓦礫の中に埋もれた鉱石。
 太陽石、だ。
 拾い上げようとして、瞬間、己が手が弾かれた時の痛みを思い出す。が、他人に任せる心算もなかったためある程度の覚悟と共に指を触れさせると、意外にも石は難なく自らの手の内に納まった。
 放たれる仄かな光が真っ直ぐに一方を指し示している。
「聖なる光を失わない………」
 まだ、石は『ガンダム』の位置を示し続けているのだ。彼の青年の命じた通りに。
 自信と傲慢に捻じ曲がった笑みを頬に刻んだまま男は指示をくだした。
「将軍に伝えろ。予定通り『ガンダム』に向けて出発するとな」
 この上ない道標が見つかったと伝えれば将軍は躊躇などすまいよと、またひとつ、笑みの色を濃くしながら。

 


プトレマイオス号にて


 

 吹き付ける風に冷たさを感じながらフラッグを操る。一仕事を終えた後はいつもお宝を得られたならば高揚し、得られなかった場合には憤慨していたのだが、今回は非常に微妙な雰囲気であった。
 狙ったお宝を逃しはしたが、代わりに別のものを手に入れた。しかしてそうやって手に入れた「別のもの」は自分たちにとっての「お宝」ではなく少年にとっての「お宝」であり、利害の一致を見たがために行動を共にしていたのに、一方は目的を果たし、一方は目的を果たせなかったという何とも腹の立つ事態に陥っていた。
 とはいえ、実を言うとそこまでアレルヤは腹が立ったりしていない。目的を達せられなかったのは残念ではあるが、今回は軍隊ひしめく要塞から無事帰還できただけでもかなりの幸いであると思うのだ。
 それに――― 一時的に協力する運びとなった少年も、少年の助け出した「お宝」もひどく興味深かった。視線の先には船長であるスメラギと、隣に佇む少年と、少年の足元で蹲っている青年。
 フラッグの操縦桿に腕を預けながらぽつりと呟く。
「不思議だよね、ハレルヤ………あのひとがお嫁さんに向いてるだなんて」
「そりゃ単にスメラギがふざけて言っただけだろ」
 あほなこと抜かしてんじゃねえよ、と傍らでハレルヤが呆れ返った。
 ―――周囲が比較的穏やかに事の成り行きを眺めている間、スメラギの操るフラッグには不穏な空気が流れていた。
 理由としては勿論、少年―――刹那のみが目的を果たして、海賊―――であるスメラギたちにはなんの利益も齎さなかったからである。海賊が命を賭けるのはお宝のためだ。だが、今回の報酬はとてもではないが山分けできるものではない。夜から朝になるまでの僅かな時間を縫って小声で少年と青年が話し合っていたことも剣呑な空気に一役かっていたかもしれない。当事者が何を言わずとも流れる空気から察せられることはあるものだ。
 す、とスメラギが右手前方を指し示す。
「刹那。あなたの谷よ。近くで下ろしてあげるから後は歩いて帰ることね。まったく、大損だわ………肝心の太陽石を落としてしまっただなんて」
 ゴーグルの下で女海賊が不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。
 燃え盛る塔から脱出してからのち、彼女の求めに従って青年が身の回りを確認したのだが、翡翠色した鉱石は何処にも見当たらなかった。爆風に乗って何処かへ飛ばされてしまったのだろうというのが大方の見解である。かといって、今更要塞に戻るなどできるはずもなく、石はそのまま軍に回収されてしまったに違いない。
 眼下に広がる自らの生まれ育った谷を見詰めていた刹那は、やがて、真っ直ぐにスメラギの背中を見上げた。結論なら疾うに出ている。ニールが同意してくれなくともやる心算ではあったが、予想に反して―――あるいは予想通りに―――青年の決意も固く、首肯してくれた。ならばもはや躊躇う理由などひとつもない。
 少年の気配を察してか青年もゆっくりと立ち上がる。
「スメラギ」
「船長と呼びなさい」
「オレたちを船に乗せてくれないか」
 応えは返らない。
「『ガンダム』の本当の姿をこの目で確かめたいんだ。頼む。この通りだ」
 ニールも言葉を重ねて頼み込んだ。
 未だ刹那は青年があの要塞でどんな体験をしたのかを詳しく聞いていないが、おそらく、あのロボット兵に絡んで何か感じるところがあったのだろうと思う。
 周囲の誰もが黙って流れを見守っている。
 フラッグの奏でる羽虫のようなプロペラ音が響く中、漸うスメラギが深い溜息をひとつついた。
「………宝なんて要らないとか、本当の姿を確かめたいとか、海賊船に乗るには動機が不純すぎるわ」
「スメラギ―――」
「言っとくけど! うちはただ飯ぐらいを置いておく気はないから。いいわね?」
 ぴしゃりと叩きつけるような口調に、一瞬、辺りが静まり返った。
 だが、少しずつ、少しずつ、彼女の言葉の意味が浸透すると共にニールが笑みを浮かべ、刹那が無表情ながらも安堵の色を滲ませる。慌てて自らの乗るフラッグを横付けしたグラハムが船長の顔を覗き込んだ。
「本気かね」
「―――船長命令に逆らうつもりかしら?」
「………まさか!」
 にんまりと金髪の男が笑みを濃くする。同時、背後で男たちの歓声が上がった。
「ほ、本当ですか、スメラギさん! それじゃあ僕たちもう掃除、洗濯、皿洗いをしなくてもいいってことですね!?」
「馬鹿、なに言ってんだ、アレルヤ! 芋の皮むきだってお役御免だぜ!?」
「まじかよー!! なあなあ、お前パン・プディング作れるか!?」
 突如として左隣に突っ込んできた派手目の男が叫び、途端に我も我もと要望が挙がり、ミートパイだのホットケーキだの何だのと料理名が頭上を飛び交う。いつまで経っても尽きることのない無邪気な歓迎の表現はいい加減に業を煮やしたスメラギが一括するまで続き、重く沈みがちだった刹那とニールの精神を向上させるのに一役かったのだった。




 二度と戻れないかもしれない谷を見守る余裕もなく、程なくしてフラッグは雲の合間に浮かぶ飛行船に近づいた。その間に自己紹介をしたお陰で互いの顔と名前は一致しつつある。船長の名前がスメラギであることは分かっていたが、金髪がグラハムで、銀目がアレルヤで、金目がハレルヤで、赤毛がコーラサワーらしい。船にはリヒティ、ラッセ、ビリーという面々も乗り込んでいるそうだ。海賊仲間は他にもいるけれど、あまり大きくない船なので常時乗り込んでいる面子は限られているとのことである。
 横を飛ぶ赤毛の男―――コーラサワーによると飛行船の名前はプトレマイオス号というらしい。洒落た名前とは裏腹にマストはよれよれだし甲板は継ぎ接ぎだし何故か洗濯物が風にたなびいているし、なかなかにアレな出来の船であるようだった。乗り込んだドックの床に布きれが張ってあるに至っては脱帽である。踏み抜いたら地上までまっ逆さまではないか。
 ただ飯ぐらいを乗せる気はないというスメラギの主義に従い、早速刹那はグラハムに連れられて機関室へと移動した。
「少年! 君にはビリーの手伝いをしてもらうぞ! 我が船の専属技工士だ。血は繋がっていないが付き合いは長い」
 がちゃり、とドアを開けると同時に物凄いエンジン音が響いてきた。身体全体にビリビリと伝わる振動、鼓膜を揺らす稼動音、雲の上にあって尚暗い室内で裸電球だけが辺りを照らし出していた。
 見渡す限り人の姿はない。グラハムが首を傾げる。
「妙だな。いつもならこの時間帯は―――」
 と。
 床の一箇所がぱっかんと開いて、モグラよろしく長髪の男がぬっと頭を突き出した。グラハムが顔を輝かせる。
「ビリー、そこに居たか! 喜びたまえ!! 君の欲しがっていた助手が―――」
「ありがとう、グラハム!! でもそんなに大声ださなくても聞こえてるから大丈夫さ!!」
 ………声がでかいのはどっちだと言いたい。物凄く言いたい。
 早速手伝ってもらうことにしようかな! と見た目二十代の青年がモグラ穴に引っ込んで指先だけで手招きする。ついて来い、ということか。
 徐に歩き出したところで肩をぽん、と叩かれる。
 見上げると、何処か誇らしげな表情でグラハムが笑っていた。
「気をつけたまえよ、少年。ビリーはマッド・サイエンティストだからな!!」
「………善処する」
 本当にマッドならどれほど気をつけたところで無意味なように思えるのだが。
 いずれにせよ、自分にもやれることがあって良かった。体格や体力で他の男性陣に劣ることは明らかだし、スメラギのような作戦を練ったりすることもできない。せめてもの役に立てるとすれば鉱山の仕事で培った指先の器用さぐらいしかないのだから。
 グラハムに礼とも言えない礼を述べてから刹那もビリーと同じモグラ穴へと身体を滑り込ませたのだった。
 そして、刹那が機関室でエンジンと取っ組み合っている頃。
 スメラギと共に艦首に赴いたニールは、広げられた地図に線を書き込んでいた。
「オレの居た塔から日の出が見えた。いまは草刈の季節だから太陽が昇る位置はこの辺りになる。石の光は太陽の方向を指したから………」
「ふーん。いい答えじゃないの」
 隣で地図を覗き込んでいたスメラギがにんまりと笑みを濃くした。当初は不機嫌だったのに、すっかり割り切ったのか既に鼻歌まで交えている雰囲気である。たおやかな腕を伸ばして頭上の棚に突っ込まれていた細長い物体を引きずり出す。不思議そうに見詰める青年に彼女が笑いかけた。
「これはね、東洋の計算機。十露盤って言ったかしら。頭の体操には丁度いいのよ」
 ぱちぱちぱちと細長い枠に組み込まれたビーズのようなものを弾き出す。曰く、自分たちは軍隊よりも風上にいるのだそうだ。出発時刻や移動速度、風向きなどを考慮してしきりに計算を重ねた後で、司令官は強く頷いた。
「………貿易風を捕まえればなんとかなりそうね!」
 ぱしっ! と勢いよく背中を平手打ちされて青年は微妙に頬を歪めた。結構痛い。
 叩かれた背中を擦るニールを無視して、スメラギが勢いよく傍の無線を取り上げた。伸びたコードの先に喇叭のような金属製の口がついている。山育ちの彼にとっては初めて目にするものだったが、糸電話と同じような原理なのだろうと適当に納得しておいた。
「―――船長より連絡します。みんな、聞いてるわね!?」
 彼女の声は即座に船内に伝達され、気のせいか、内部でわんわんと音が共鳴している気がする。
「ジンクスは既に出発したわ。でも、風を捕まえれば明日には接触できる。『ガンダム』がどんなところかなんて誰にも分からないけれど、海賊を満足させてくれるだけのお宝ぐらいあるはずよ。だからここはひとつ、出血大サービス! 最初にジンクスを見つけたひとには金貨10枚を支払います!」
 10枚だって! と、傍で舵を切っていたリヒティが驚きの声を発し、計器類の調子を見ていたラッセが目を瞬かせた。かなりの金額だ。どれだけスメラギが今度のお宝探しに期待しているのかが分かるというものである。
「てな訳だから! 休んでる暇なんてないわよ〜。さあ皆、しっかり稼ぎなさい!」
 船内のそこかしこで雄叫びが上がり、船が僅かにグラグラと傾いだ。みんな元気っすねえとリヒティが笑いながら大きく舵を切る。ラッセがパチパチと計器の設定を変えるとスメラギが上機嫌に叫んだ。
「進路98、速力40!」
 ぐい、と身体にかかる重力が増した。
 速度を増した船は雲の真ん中を突っ切って一路東へと進路を取る。
 のりのりの船員たちを見ながら、さて、自分はどうしようかとニールは考える。自分も当然働くべきなのだが、特技といえばヤクの乳絞りとか布を織ることとか、どうにも海賊業に役立つとは思えないことばかりである。
 刹那みたく特技があればなあと溜息ついてると、「あんたはこっちよ」とスメラギに引っ張られた。
「何処へ行くんだ?」
「わたしの部屋。気付いてないの? すっごい泥だらけよ、あなた。刹那も大概な格好してたけど、流石にそこまで薄ら汚れちゃうとねー」
 指摘されれば頷くより他はない。
 刹那たちに助け出されるまで砲弾飛び交う火の海の中に突っ立っていたのだ。服は煤だらけだし、ところどころ破れてもいた。特別、綺麗な格好に拘りがある訳ではなかったが、限度というものがある。
 案内された私室は洋服やら宝石やら酒瓶やらで溢れ返っていて、妙齢の女性の部屋に対して失礼ながらもニールは素で「うへえ」と思った。なんだこの荒れ具合。偶には掃除しろ。壁にかかった少女時代―――と、思しき可愛い自画像が泣いてるぞ、なんてことまで考える。
 スメラギが箪笥から服を次々と引っ張り出し、放り出された先からニールが綺麗に畳み直して行く。
「体格が違いすぎるのよねー。いっそのことラッセ辺りから奪ってきた方が早いのかしら」
「すまない。着れりゃなんでもいいよ」
「あら、本当? じゃあ、これでもいいのかしら」
 楽しそうにスメラギが一枚の服を投げつける。広げたそれは可愛い花柄のドレスで、がっくりと青年は項垂れた。
「………せめてズボンでお願いしますっ………!」
「分かればいいのよ。ヘンなもの見てみんなのやる気が削がれたら大変だし!」
 そこまで言うことないじゃないかと青年が呟き、船長が笑う。
 なんだかんだと揉めはしたものの、結局は普通の半袖シャツとズボンに収まった。今更男の素っ裸のひとつやふたつで恥らったりしないわよと豪語したスメラギの手で服をひん剥かれた時は悲鳴を上げかけたが、いや待て、ここで叫んだりしたら男の沽券に関わるぞと何だかよく分からない根性を発揮して最終的には黙ってニールは着せ替え人形と化していた。刹那にだけは見られたくない光景である。
 ついでの如く、自分は何をすべきなのか尋ねてみたところ、既にスメラギの中では役割が決定していたらしい。
「付いて来なさい」
 素直に彼女の言葉に従って案内された場所は台所であった。
 のだ、が。
「………………ミス・スメラギ」
「何かしら、ニール」
「此処は本当に台所なのか」
「それ以外の何に見えるの」
 ドアを開けた姿勢のまま見事にニールは硬直した。
 確かに台所だ。台所だとも。食器はあるし、流しもあるし、食材だって置いてある。
 しかし。
 食器はすべて汚れたまま流しに放置され、流しの周りはカビとも錆びともつかぬ薄黒いヌメリで覆い尽くされ、食材の多くは萎びたり腐ったり芽が生えたり発酵したりしていた。お前ら、よくいままで食中毒にならなかったな! と叫びたくなる惨状だ。
 にこやかにスメラギがニールの肩をぽんと叩く。
「食事は一日に五回よ。水はできるだけ節約してね」
「なんで五回も………」
「うちの子たちって燃費が悪いのよ〜。重労働だから体力の消耗も激しいのよね」
 次いで、くるりと背後を振り返り。
「あんたたちもいいわね!? それまではきちんと自分の持ち場で働くこと!」
 何の話だと振り返ると、何人かが慌てて扉の影に引っ込むのが見えた。どうやら覗き見されていたらしい。新人の持ち場が何処になったのか彼らなりに気になったということなのだろう。
「………ま、大変だとは思うけど。手助けなら一杯きそうだからあまり気張らずに、ね」
「は?」
「それじゃ、頑張ってねー♪」
 ひらひらと手を振って去って行く女海賊の背中を首を傾げながら見送った。
 扉を閉ざし、あらためて台所に向き直ったところで頬を引き攣らせた。何回みても酷い。惨い。こんなん台所じゃない。まったくもって絶望的。何処から手をつければいいのかと途方に暮れるほどの素晴らしさ、もとい凄まじさ。
 だが、なんだってやってみなければ分からない。
 遣り始めなければ片付かない。
 意を決した青年は、先ずは腐敗臭を放つ食材の名残を片付けるべく、シャツの袖を無意味に上げて第一歩を踏み出したのだった。




 雲の上を飛ぶ船には、当然、太陽の光を遮るものなど何もない。
 腰に巻いたロープのみを頼りに飛行船の壁を下り伝い、装甲版についた傷を修理していた刹那は流れる汗を拭った。
 軍手ごしに外装の傷をなぞってみる。………問題ない。
 強く予備の命綱を2回ほど引くと上で待機していたビリーが引っ張り上げてくれた。
「お疲れ様。すまないね。この手の作業をするのは身が軽い方が有利だ」
「知っている」
 差し出された水を有難く頂戴する。グラハムは彼をマッド・サイエンティストと評していたが、いまのところは良識あるおとなと思える。だが、本当に良識あるおとななら海賊などになりはすまい。本性を見せていないだけでやっぱり本来は何処かずれているのだろう。
 甲板上でそれとなく日陰に身を寄せていると、ロープを片付けながらビリーが提案してきた。
「この後はエンジンの様子を一緒に見てもらおうと思ってるんだが―――少し休んできなよ。君の相方の、ニールくんだっけ? 彼の様子も気になっているんだろ?」
「気にしていない」
 反射的に言い返してから、しまった、と眉間に皺を寄せた。こんな打てば響く鐘のような反応をしては、気にしてましたと白状しているようなものだ。
 いや待てでも別におかしくはない、ふたり一緒に海賊船に乗り込んだ訳だし、確実に味方と分かっているのはお互いだけだし、あいつは見た目の割りに危なっかしいし、ちょっとぐらい気にかけたってたぶん問題ないはずなんだけどその。
 無表情な顔の下でグルグルと考え込んでいる刹那の想いを知ってか知らずか、ビリーは笑いながら少年の肩を押した。
「じゃあ、言い直そう。ニールくんが君のことを心配しているだろうから顔を見せてあげなさい」
「………」
「彼の持ち場は台所らしいよ。あの角を折れて三つ目の扉だ」
 僕は先に機関室に帰ってるから、と、ロープを担いだマッド・サイエンティストはとっとと場を後にしてしまう。取り残された刹那はしばし佇んだままでいたが、やがて、躊躇いながらも歩き出した。
 ビリーの指し示した方角の角を折れて三つ目の扉。
 小さな覗き窓から中を確認すると、忙しく立ち回っている青年の後ろ姿が目に入った。なんだかそれだけで満たされてしまい、このまますぐに踵を返そうかとも思ったが、ビリーの「ニールくんが君のことを心配している」との言葉を思い出して踏み止まる。
 まあ、確かに。
 ここまで来たのに顔を見せないでいるのも薄情なように思われた。
 無言のまま扉を開けると、鍋に食材をぶち込んでいたニールが振り返った。途端、弾けるような笑みを浮かべる。
「刹那!」
「………」
 なんだか、本当に、本当に、それだけで全てが満たされてしまったので。
 またしても即座に持ち場に戻りたい気になったのが、そんな真似をしたら彼は悲しむに違いないと思い止まった。
 くん、と鼻を利かせると、美味そうなスープの匂いが漂っていた。少年の反応を見たニールが笑う。
「悪いな、まだ飯の時間じゃないんだよ。にしても、飛行船の台所ってだいぶ勝手が違うよなあ。なかなか慣れねえ」
「………そうか」
「水は節約しろとか制限かけられるし、皿を綺麗にするのも一苦労だぜ。火はあるけどオーブンはないし調理器具もほとんどないし、ミートパイが食いたいとかの要望にはなかなか応えられねえよな」
 口にするのは文句ばかりだが、じゃがいもの皮を剥き、火加減を見て、皿を片付ける彼はなかなか楽しそうでもある。
 ふと、皿を拭いていた手を止めて彼がこちらを振り返った。
「そーいや、刹那。お前、技工士さんの助手やってるんだろ。結構厳しいひとだって聞いたけど大丈夫なのか?」
「問題ない。ビリーは技術には厳しいがひととしては甘い方だ。心配してもらう必要はない」
「そ、………っか。まあ、問題ないなら何よりだよ」
 笑う彼が何処か寂しそうに見えて、戸惑う。自分は何かおかしなことを言っただろうか。実際、ビリーはいい人間だし、青年に心配かけたくなかったのも事実なのだが。
 なんとか言葉の接ぎ穂を探そうと心持ち急いで口を開く。
「―――お前は」
「ん?」
「お前は問題ないのか。何か手伝う必要はあるか」
 すると、青年はひどく意外そうに目を見開いた。
 それから、ゆっくりとやわらかく微笑んで、「問題ないさ」と刹那の頭に手を置いた。
「純粋な体力勝負ならオレの方が上だぜ、刹那。それに―――手伝いなら間に合ってる」
 と、青年が指差した先を見て。
 ―――絶句した。
 一体いつから居たんだと問うべきか、最初から気付いてなかった自分が鈍すぎたのか、説明しなかった青年が悪いのか何なのか。
 テーブルの影、行儀悪くも床にべったりと腰を下ろして皿拭きとじゃがいも潰しに精を出している金目と銀目がそこに居た。
 アレルヤは困ったように笑い、ハレルヤはこちらをガン無視している。
「え、えっと………刹那、ごめんね? 話しかけるタイミングがなかっただけで、別に他意はないんだ。ほら、ニールってまだ船に来たばっかりだから様子が気になっちゃって」
「オレは単なるサボリだけどな」
「ハレルヤ! そんなこと言ってるとスメラギさんに怒られるよ」
 ぱしぱし、と、目を瞬かせて。
 あらためて青年を見遣ると、「ほら、な?」と言うように肩を竦められた。手伝いなら間に合っている、心配しなくてもこちらも上手くやっている、ということらしい。彼が彼なりに海賊一味に受け入れられているのだと理解して、刹那は嬉しいような寂しいような腹立たしいような複雑な心境になった。
 ともあれ、互いに相手の身を心配する必要はなさそうだ。海賊を名乗っていることが不思議なくらい彼らはお人好しの集団であるらしい。
「………夜に、また来る」
「おう。美味い飯つくっとくから待ってろよ!」
 ニールの声を背に受けながら台所を後にする。角を折れるのが早いか否か、またしても背後で扉が開く音がして、「姫! 何か手伝おうか!」との聞き覚えのある声が響くに至っては呆れるのを通り越して笑いたくなってしまった。

 

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※WEB拍手再録


 

原典に則れば刹那(ぱずー)は台所に行ったりしないんですが、そこは都合のいい改変ってことで(笑)

夜まで会わない方が萌える気もしたんですけどねえ………悩む。

 

 

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