GE/BP(4)
頭部の圧力が消えて情けなくも地面に膝をついた。荒く息をつく前に誰かが立ち、視界が遮られる。 顔は見えない、が、見間違えるはずもなかった。 (………マツ、カ) 右目を抑えていたてのひらを退けてゆっくりと瞬きを繰り返す。 「まっ………待って。待ってください!」 少しだけ震えながらも退かない態度でマツカが叫んだ。 「お願いです、待ってください! あなたはどうしてキースばかりを責めるんですか!!」 「退け」 少年の態度には取り付く島もない。負けじとマツカは声を張った。 「あなたが何をもって彼を責めるのか、知っています。僕も『あの場』にいた人間だ!」 その、叫びに。 掲げた腕はそのままながらも漸く少年が動きを止めた。 呼吸を整え、背後の壁に手をつきながら立ち上がる。 「『彼』を連れて逃げたのは僕です、あのひとを見捨てた僕も同罪のはずです。『彼』だけを非難するのはやめてください!」 「君も銃で撃ったと?」 「そうです」 「嘘だね」 迷いのないマツカの回答を彼はあっさりと否定した。薄く笑んだ表情だけなら穏やかと表現することもできるのに、何故こんなにも背筋が冷えるのだろう。 「あのひとの記憶に君はいなかった。君がやったのは連れ去ることだけだ。殺すことじゃない」 「あの場にいたなら同じことです」 「罪を認めるなら罰は願わない。自戒の念を持つ者まで裁くなど、僕は」 ―――『神』では、ない。 だが、それでも。 少年の視線が真っ直ぐこちらに注がれる。 マツカを見る時は微かな和らぎを見せる瞳も相対する者が己となれば途端に静かな炎に包まれる。 「忘却を、赦しと捉えるなんて真似、出来やしないんだ………!!」 内容は微塵も理解できないのにこころの何処かが鈍い呻き声を上げる。 赤い星、白い船、自分を取り囲む長衣を着た――― (………違う?) 違う。 先刻、強制的に見せられたものとは、違う。 ならばこの『映像』は何処からやって来たのか。 赤い星、赤い船、赤い軍服、顔のぼやけた少年兵、暗闇に発光する十字架。 見慣れた顔、見慣れない姿、聞き慣れない単語と殲滅の意志命令命令命令あれが『ヒト』の住まう星であるものか内面に土足で踏み込み記憶と知識を覗き侵入者と看做せば記憶を奪うことすら厭わない『バケモノ』の巣窟だからと振り上げた腕を下ろす殲滅駆除否定命令排除排除排除排除。 力任せに背後の壁を叩き付けた。 違う、違う違う違う、―――記憶を、全てを、奪って来たのは………!! 唇を噛み締めて顔を上げれば、驚きに目を見開いているマツカと、相変わらずの無表情を保っている少年と目が合った。 眉を顰めるキースに興味を失ったのかもとから持ち合わせていなかったのか。 少年は淡々と右手を前に掲げた。 「キース! 伏せて!!」 間に割り込んだマツカが両手を前に突き出した直後、全身を襲った衝撃に目を閉じた。 降り注ぐ雨は弾き飛び濡れた砂が舞い上がる。少年の身体が薄っすらと青い光に包まれる。マツカの周囲が緑色の光で覆われる。 自身は、と言えば壁に背中と手をついて襲い来る圧力に耐え忍ぶしかない。 マツカが防いでいるからこの程度で済んでいるのだ。それが証拠に庇いようがないコンクリ壁は哀れにも崩れ行く。強固な人工物にまで皹を入れるような力を生身で受け続けて無事で済むはずがない。吹き飛ばされそうな身体を支えながらかろうじて見遣った部下の両手には朱が滲んで、 「マツカ、退け!」 「退きません!」 「命令だ!!」 「絶対、嫌です!!」 ―――普段はおとなしいくせにこんな時ばかり意地を張る。 気圧されたなんて。 認めはしないが。 咄嗟に足払いをかけた。バランスを崩したマツカが転倒し防御を失くした背後の壁が大破する。降りかかるコンクリ片を忌々しく感じながら濡れた前髪をかきあげた。 「っ、キース!」 「黙れ」 立ち上がろうとする相手の肩を押して遠ざければ、好機であるはずの少年は何故か手出しもせずにこちらを見守っていた。 ―――止める権利はない? そうだろうとも! 同じテーブルを囲もうと同じ理想を抱こうと所詮他人は他人。最後の意志にまで口出しできる権利も理由も自由もあるはずがない。 ならば、こちらも好きにさせてもらおう。 「………ひとつ、聞いておきたい」 雨で霞みそうになる視界の中、真っ直ぐに正面を睨まえた。 「目を取ってどうするつもりだ」 「どうもしない。握り潰して、捨てる」 声からは感情が抜け落ち金の髪と緑の瞳だけが陽炎の如く雨霧の向こうに揺らいでいる。 「―――そうか」 捨てる、か。 悪くない。 持ち帰ってホルマリン漬けにするだの移植するだの食すだのと言われるよりは遥かにマシな回答だ。マツカへの対応からも分かるように『彼』の怒りは己ひとりに向けられている。 目的を果たせば暴走も止まるだろう。 天秤は傾いた。 「ただし!」 背後でマツカが驚愕の叫びを上げる。叫びを打ち消すように自らも大声を上げる。 「貴様の訳の分からん力で頭部ごと吹っ飛ばされるのは御免だ。取り出せと言うならこの手で取り出す。潰せと言うならば潰す。抉れと言うならば抉る」 「………」 「実行に最も容易いのは刺し貫くことだ。―――了承できるならば手を下ろせ」 制服のベルトに差していた傘の柄を引き抜く。 鋭利な切断面。 まるで、買いたてのナイフのような。 普通の長さなら脳にまで達する危険があったが目測では柄は丁度眼球の真ん中辺りで止まる。これなら目の損傷だけでどうにかなるだろう。 「待ってください、キース! 無茶です!」 「返事は!」 左腕にしがみ付いて来たマツカを素気無く振り払う。 お前がお前の自由と権利を主張するように自分も自分の意志と意地を優先させてもらおう。こんな時ばかり命令を聞かない部下など知ったことじゃない。 少年の右腕がゆっくりと下りて行く。右目が潰れさえすれば他に手出しをするつもりはないようだ。 目をくれてやるぐらい惜しくはない。『彼』が、後継者である限り。 (………後継者?) 脳裏に浮かんだ単語に刹那、気を取られたが。 気持ちを切り替えて目を閉じる。 右手に握り締めた柄の先端を瞼に当てる。僅かな凹凸を残す断面が肌に食い込み、内部の水晶体に圧力をかけるのが分かった。 腕は震えているか? ―――震えていない。大丈夫だ。 泣き叫ばずに済むか? ―――大丈夫。血を流すだけだ。 「マツカ、医者を呼んでおけ」 「馬鹿な真似はやめてくださいっ! 死んでしまいます!!」 一度の瞬き。 衝撃に備えて歯を食い縛った、直後。 「っっ!」 ―――痛みを感じる右目の代わりに右手が痛みを訴えた。 切っ先は瞼を掠め一滴の血を滲ませるに留まり、折れた傘の柄は舞い上がり粉微塵に砕かれる。 同時。 誰もが視線を空へ向け。 降りしきる雨の中、凶器を打ち砕いたと思えぬほど白い手を閃かせて宙に舞う。 落ち着いた眼差しと変わらない表情と身を包む淡い光。髪の先端から雫を滴らせてさえいなければ彼だけが別の場所に居るといわれても納得してしまいそうな。 ゆっくりと砂浜に舞い降りる。 存在の証として、足元の砂が彼の体重を受けて僅かに形を変える。 自身を取り巻く光を弱めると少年はまっさらな血の色の瞳を晒した。 ちらりとこちらを眺めた知人は伊達眼鏡をつけておらず、それ程にこれが突発的かつ深刻な事態なのだと伝えていた。 金髪の少年とキースの間に割って立つ。 表情は窺えないもののピンと張った空気が静かな怒りを感じさせた。 「―――ジョミー。何か、言うことは?」 ジョミー、と。 ブルーもまた少年をその名で呼んだ。 脳裏に自然と沸いてきた名前を彼もまた使った。ならば、少年の名はそれで間違いないのだろう。一筋だけ瞼から流れてきた血の糸を無意識の内に拭った。 「何か、とは?」 「言葉通りの意味だ。僕は君が誰かを傷つける様など望んではいない」 「僕が勝手にやっていることです。あなたには関係ない」 「関係ならある。全てがあの日に起因すると言うのなら」 優雅とも思える仕草でブルーは左手を横へ伸ばす。薬指に絆創膏の巻きついたてのひらを後ろへ返し、まるで、背後のふたりを守るように。 精神力の弱い者ならそれだけで腹を抱えて蹲ってしまいそうな。 周囲の空気は一層に緊張を孕み一触即発の意志を伝えている。 「………何故?」 「理由が必要かい」 「いいえ。何れにせよ今の僕には受け入れ難い」 「ならば冷静になりたまえ。君は此処に集うことがどれほどの奇跡かを未だ知らな―――」 「知りたくもありませんね、そんな奇跡なら!」 忌々しげに少年が吐き捨てた。 下ろしていた右腕を再びゆったりとした動きでこちらへと向ける。 後ろ姿だけで表情の欠片も見せないブルーは、ほんの僅か肩を震わせた後に、真横へ上げていた左腕をそのまま正面へと移した。 攻撃の意図はないのだろう。左手は力なく項垂れている。 だが、彼が腕を動かしたという事実こそが少年の精神をざわめかせたのか、 「………どいてください」 「退かない」 悲しんでいるとも取れる皮肉な笑みを頬に刻んで。 「僕に、技術で敵うと思ってるのかい?」 「どいて………っ!!」 叫びは悲鳴に近かった。それでも彼は、押し寄せる圧力にも負けず姿勢を揺るがすこともない。 首を、横に振る。 ―――感じた時にはもう遅い。弾き飛ばされた身体が壁に叩きつけられて脳が揺れる。周囲を覆う轟音、光、風、もう無茶苦茶だ。 「マツカ! 君はキースを護ることに専念したまえ!」 「は、はいっ!」 あまりの目映さに閉じていた視界、眼前にマツカが立つことで漸く意識を取り戻す。 少年を取り巻く蒼い光とブルーが身に纏う蒼い光が衝突し鮮やかな華を散らす。 雨まじりの砂は竜巻の如く上空に持ち去られ遥か遠くで地に落ちる。叩きつける風は研ぎ澄まされた刃物の如く突き刺さる。事実、服の何箇所かに生じた切れ目は風の刃に切り裂かれたものだろう。 煽られる風で前がよく見えなくとも相対する少年の瞳が不気味に輝いていることだけは分かった。 前触れなく上空に複数の岩が出現する。狙いは自分だ。 息を呑む間に少年の左手が振り下ろされる。ブルーが右手を振る。岩の半分が消え失せ残り半分が光に阻まれて大破する。 少年の手に従うように地面に亀裂が走る。 ブルーが腕を払えば亀裂が止まる。 何が何だか分からない。知っているとしても深くは関わりようがない世界。 『………早くっ!!』 『駄目だ!!』 頭を割らんばかりの大音量で声が響いた。 『………みばかりだとお―――! なぜぼくを………んのようにあ―――んだぼくはかみでも―――でもないただき………! ろしてほしくな―――なんだな………がわから………! それをりか―――くれないぼくは………をしんじき―――もにあ………いだけだ!!』 内心の叫びを生で互いに叩きつけるような「言葉」として形作ることさえ儘ならぬような熱の塊の如き捉え切れない感情の交錯だ。 「っ!」 「マツカ!」 ふらついた部下の背を両手で支えた。 ただ、其処に在ることが精一杯の。 降り注ぐ雨はふたりの衝撃波の競り合いと光の幕に阻まれて飛沫と化す。暗い天を見上げてキースは歯噛みした。 ―――と。 (………?) 眉を顰める。 見間違えかと思った。錯覚だろうとも。 だが、確実に、これは。 先刻から何度も何度も叩きつけられた。少年の攻撃はブルーが防いでいるため的こそ外れてはいるものの背後へは届いている。その度に走る亀裂が、足元を抉る衝撃が、足場を揺るがし人工物の破片を舞い散らせる結果となっているのなら。 (落ちる………!?) 蒼い光の向こう、土砂降りの奥、肉眼でかろうじて確認できる範囲。 潰れる。 このままでは。 顔の脇をすり抜けた細かなコンクリ片に決意を固めた。もはや一刻の猶予もならない。 「マツカ!!」 「え!?」 その腕を掴み力任せに遠くへ放り投げた。 コンマ何秒かの隙。それだけで。 目を逸らした少年が左手を振り傘が音もなく蒸発した、とき。 「ブルー!!」 「キース!?」 赤の瞳を視界に捉えた刹那、横抱きにして思い切り地を蹴った。彼の頭を抱え込み少しでも傷つかないように。 砂が舞い上がり口内に苦い感触が広がる。 「キース、君は―――!」 至近距離で声を震わせているのは見慣れた下級生だ。 嗚呼、でも、これは。 (………動かない、か) じわじわと下半身から伝わってくる痛みに、そんなことを考えた。 |
※WEB拍手再録
ヒトに傘を投げつけてはいけません(当たり前)
ブルーとジョミーのセリフを穴埋めできたらあなたは神☆
マツカの登場は実は想定外。
ほんとはすぐにブルーが来るはずだったんだけどキースの危機に駆けつけないマツカなんて
マツカじゃないよとゆー内なる声に従ったら何故かこんなことに(そして確実に長くなる)
余談ですがたぶんこのキースは制服です。キースだけが制服です。
他3名が私服なのにひとり制服です。私服の学校で制服です。
だからどうって訳でもないですケド。