時代が移り変われば情報の記録の仕方も変わる。基本は口伝であったものが木や壁や岩等に書き記され、紙に記され、終には電子情報へと成り代わる。電子情報となるに至っては一般レベルでの情報の共有は容易く、大勢の目に触れやすくなった分だけ改竄の可能性も増し、正確性には疑問が投げ掛けられる結果となった。
 どれだけ電子媒体の情報が出回ろうとも紙媒体の資料を求める者が絶えないのは、結局のところ実際に「手」にとって確かめられることに安堵を覚えるからだろう。紙媒体でも改竄される可能性は充分以上にあり、紛失の危険性を常に伴うとしても。
 そんなことを考えながら青年は手元の眼鏡をかけ直す。店内は割りと混み合っているが静けさが破られることはない。近くの学校に通う生徒たちは礼儀正しく、年下がそうならばと周辺の住民もマナーに気をつけているようだ。
 本屋と言えども旧世紀において駅前などに立ち並んでいた書店とは少々様相が異なっている。並んでいるのは書籍ではなくパソコンをはじめとした電子機器のモニターばかりだ。規則正しく並んだ手摺のように真っ直ぐな棒の上で軽く手を振るだけで中空に青い半透明のモニターが起動する。そこから探している書籍やデータを探し出し、欲しいと思った場合には個人のカードデータを入力して「購入」後ダウンロードする。
 公営の図書館とは異なるため一部のデータ閲覧には制限がかけられているし、決済に使用できるのもカードや電子マネーのみである。紙媒体で欲しい場合には、ダウンロードデータを製本するよう店員に依頼するためそこそこの時間がかかるし値段も割高になる。急ぎでデータを見たがる人間がほとんどだから、そんな七面倒くさいことを注文してくる客はごく稀だ。
 しかし、稀ではあるが零ではないために未だ紙媒体での資料提供は続けられている。製本に携わる職業も細々と続いている。
 書店のカウンターに座していた青年は、すっかり顔馴染みになった少年がゲートを潜って来たことに気がついた。少年は哲学のコーナーへ足を運び、週刊誌や雑誌コーナーの表紙をザッと眺めてから数学や社会学の書籍の入手を検討し、つまるところいつもと何ら変わることのないコースを辿ってカウンターへとやって来た。彼はいつも店に来た時点で購入する蔵書を決定しているため動きにはほとんど無駄がない。
 いらっしゃいませと頭を下げれば、お愛想のように軽く頭を下げられる。これはこの少年なりの親しみの表現なのだ。表情に変化がないのはほんのご愛嬌である。
「注文していた本が届いたと聞いたんだが」
「はい。少々お待ちください」
 差し出されたカードを受け取って店舗の在庫状況と照らし合わせる。一致したタイトルに画面上でタッチすればオートで本が運ばれてくる。三部作の内の第二作。分厚くて堅苦しい文体ゆえに途中で飽きる読者も多いが、一度ハマればかなり深いシリーズである。
 こちらで間違いございませんか? と問い掛けて、頷く少年に本を手渡す。会計前に本の中身を確認するのは買い手の当然の権利だと思っている。中には有無を言わせず手渡して、後で落丁や乱丁があっても返品を拒否する店もあるそうだが、そんな振る舞いは書店の風上にも置けないと青年は固く信じていた。
 本をパラ読みしていた少年が頷き返す。にっこりと微笑んでから青年は本の包装を始めた。彼は過剰な装飾は嫌うから、あくまでもシンプルなブックカバーだけを使用する。丁寧にサイズを見繕いながら声をかける。
「最終巻も注文なさいますか? いまご注文いただければセット販売扱いになりますから、通常よりお値段はお安くなりますが」
「いや」
 いつもなら「頼む」と答えるだろうところで、珍しくも相手は首を横に振った。
「これから忙しくなるから、たぶん、読んでいる暇がない」
 落ち着いたらまた注文しに来る。ありがとう、と。
 淡々と答えを返す少年に僅かばかりの苦笑を返した。例えば此処で「どうして忙しくなるんですか」と問いを重ねることも出来たかもしれない。が、そこまで踏み込むのは未だ自分と彼の関係では失礼なようにも思われた。
 彼は打ち解けたように見せてもすぐに己の殻に引き篭もってしまう。それを僅かながら残念と感じるようになれたのは、地道に重ねた交流の結果だろうか。
 少なくとも、彼と『再会』した折りはこんな感想を抱くようになるとは思ってもみなかったのに。
 ありがとうございました、の声を後に去っていく背中を見送ってから青年は業務へと戻った。
 画面上には彼の注文の履歴が表示されている。購入者の注文履歴から「お勧めの本」を提案するのはむかしから行われているサービスだ。
 だが、それ以前にこの履歴を使えば対象の思想の変遷を探ることもできる。特に、彼のように娯楽ではなく研究等を目的とした収集が主であるならば。

 個人登録番号FU0010720031―――『キース』。

(キース・アニアン………)

 青年が密かに視線を鋭くした時だった。
「あまり感心しないな。個人の嗜好を検閲するのは」
「!」
 慌てて振り返ると、見たことのない少年がカウンターにだらしなく肘をついてこちらを眺めていた。今時珍しいグルグル眼鏡にぼさぼさ頭、だぶだぶのセーターに至っては裾が弛んでいる。
 一見しただけでは性別すら不明な体型で、でも、青年は一瞬の戸惑いの後には彼の正体を見破っていた。いいや、これだけ傍にいて分からない方がおかしいに決まっている。
 少年がほんの少しだけ眼鏡をずらせば悪戯っ子のように輝く真紅が覗いた。
「久しぶりだね、リオ。元気そうで何よりだ」
「ソルジャー!」
 書店員である立場も忘れてリオは笑顔と共に立ち上がった。

 


ブルースカイ・クリムゾンレイン(3)


 

 あたたかな紅茶をカップに注げば馥郁たる香りが室内に広がる。外は薄曇、相変わらずの雨模様だとしても室内から眺める分にはまた一興。机の上に清潔なテーブルクロスを敷けば事務室の殺風景な印象もいささか緩和される。
 湯気に白い指先を遊ばせてからカップを持ち上げ、唇を湿らせる。
 こくりと喉を震わせて目の前の少年が笑みを零した。
「やっぱり。リオの淹れてくれたお茶は美味しいな」
「ありがとうございます」
 にっこりと微笑み返してリオは机の上にクッキーを広げた。まさか彼とこんな場所でこんな風に再会するだなんて思ってもみなかったものだから、ろくな物を用意していない。飲んでもらいたい様々な銘柄の紅茶とか、自分で探し当てた隠れた名店のお菓子があったはずなのに。
 でも、会えたからいい。これから先、楽しんでもらう機会は幾らでもあるはずだ。ブルーが楽しそうに手を組み合わせて小首を傾げる。
「君の肉声は初めて聞いたな。―――いい声だ」
「そうでしょうか? 僕は未だに聞き慣れなかったりするんですが」
 カップを両手で支えながらブルーは興味深そうに辺りを見回している。
「書店の2階がそのままオフィスになってるとはね。店員は君と、交代してくれたひとのふたりだけ?」
「ええ。後は店長が居ますけど、本当にこじんまりとした店です。性分に合ってますよ」
 大企業に勤めてあくせく働くのはちょっと、と苦笑すれば同じように微笑まれた。記憶にあるよりも随分と幼い姿だが本質は変わっていないことが伝わってくる。
「そう言えば、ソルジャーはいま何を―――」
「ブルーでいいよ。僕はもうその座は退いたし、いまは君の方が名実共に年上なんだから」
 ゆっくりと右手で発言を制されるものの、そう呼んでいた記憶の方が色濃くてなかなか実行できそうにない。ほんの数言や僅かな動きで相手を止められる辺り、当人が否定しても、やはり彼は未だ指導者足り得ると思うのだ。
 軽くかぶりを振ることで肯定と僅かばかりの否定を表す。
「善処します。………あなたは、いま、何をしていらっしゃるんですか?」
「特に何も。強いて言えば無害な学生かな」
 なんだか嘘くさいな、とリオは感じた。
 相変わらずの読めない笑みを浮かべたまま彼は右手で窓の外を指し示す。
「近くに学校があるだろう? 僕も今度からあそこの生徒になる」
「本当ですか?」
 だとしたら、ブルーは随分前からこの近辺に在住していたことになる。何故気付かなかったのかと残念がっていると「僕の都市はカセドラだよ」と返された。明確にこころを読まれたことよりも、わざわざ芸術都市から育英都市へ通ってくる酔狂さに驚いた。確かにあの学校は学力も優秀で方々から主だった面子が集まる傾向はあるけれど―――。
 思いついた可能性に眉を顰めた。
「もしかして、『彼』がいるからですか」
「そうなるのかな?」
 眼鏡を外した彼はゆったりと椅子に背を預けた。
「見張りなどやめたまえと注意した当人が言うのも難だけれどね、やはり僕はどうあっても彼の動向を気にせずにはいられないようだ」
「ミュウならば当然だと思います」
「過去を―――覚えているかい?」
「ほんの少しですが」
 仲間と共に船で旅をしていたこととか、ミュウが人類に虐げられていたこととか、人類と戦っていたこととか、大まかな流れは覚えている。
 けれどもそれが、いつ誰が亡くなったのかとか、どんな経緯で戦いになったのかとか、どのような結末を迎えたのかとか、細かなことになると非常に曖昧なものしか残っていない。赤い星、荒れた大地、大地に咲く花、汚染された『地球』、そんな切れ切れの記憶と共に。
「僕は………目的を果たせないままに亡くなったんでしょうね。あまり役に立てなかった気がします」
「そんなことはない。君の存在は充分、ジョミーの支えになっていた」
 揺らぐでも誤魔化すでもなく淡々と事実のみを告げる口調に、彼の記憶は鮮明なのだと悟る。
 と、同時。
「―――ジョミーには、会ったのですか」
 疑問が沸いた。
 彼の愛し児に、もう、出会えたのだろうかと。ちらりとこちらに視線を投げ掛けてきたブルーに、はぐらかす様子はないけれど。
「君は?」
「会っていません。きっと、こことは違う都市にいるのでしょうね」
 会いたいとは思わないんですか、と。
 思念のみで伝えた。
 ほとんどの能力をなくしてしまった自分とは異なり、彼は未だ『ソルジャー』の名に相応しくある程度の<力>を維持しているようだ。彼に嘘をついても無意味であり、また、嘘をつくことに意味も見い出せなかった。
 瞼を閉じれば印象的な真紅が隠れて見えなくなる。そして初めて、彼の輪郭が未だ幼い子供のものであると気付くのだ。
『―――思わないはずがないだろう?』
 答えもまた、やわらかな思念で返された。
 ゆっくりと指先がカップの縁をなぞる。
『でも、出来る限り彼を巻き込みたくないんだ。もともと僕が彼を戦いの運命へ引きずり込んだようなものだしね。恨まれても仕方がないと思っている』
『ジョミーはあなたを恨んだりしません』
『うん。知ってる』
 複雑なんだ、と、彼の精神が迷っている様を伝えてきた。以前ならこんな風に弱音とも取れることを打ち明けることはなかったろうに。すべてをひとりで抱えて込んでいた彼が、僅かなりとも迷いや悩みを口にできるようになったのは、この平和な時代が与えてくれた幸福なのかもしれない。
 机の上のクッキーをひとつ摘み上げて。

「―――キースについて、どう思う」

 精神波から肉声へと彼は問い掛けを切り換えた。
「どう、とは」
「そのままの意味だよ。君の忌憚のない意見を聞きたい」
 じっと見詰めてくる瞳は穏やかに凪いでいる。
 自らのカップに手を当てて微かに揺れる琥珀の液体を眺めた。過去を思えば答えは決まっている。だが、彼が敢えて『肉声』を使ったのはつまり。
「僕が『リオ』ではなく、リオとして答えるなら―――」
 そういうことなのだろう。
「正直、分かりません。敵なのか味方なのか」
 苦笑と共に紅茶に口をつけた。
「確かに過去においては戦っていました。でも、幸か不幸か記憶はかなり薄くなっていて、恨みや憎しみといった負の感情も遠くなっているのは事実です。それに」
「それに?」
「悪い子じゃないんですよ。本当に」
 おかたい本ばかりではなくSFやファンタジーや御伽噺にも興味を持つ。知識欲を埋めるためではなく、純粋に楽しむそのために。永らく絶版扱いになっていた書籍のデータを入手した時、彼はものすごく嬉しそうに笑っていた。表面上は慣れた人間でなければ分からないぐらい些細な違いだったけれど、でも、確かに。
「考えてみれば当たり前なのかもしれません。あの『キース・アニアン』にも過去はあって、幼い頃の彼は、いまの『キース』と同じだったのかもしれない。ただ、少し、辿る道筋が違っただけで………」
 登録IDから思想傾向を探ろうとしたのはミュウの敵となる芽を見つけるためだった。
 でも、いまはそんなことのために彼を監視しているのではない。
 ―――と、思う。
 静かにブルーは微笑み返した。
「ねぇ、リオ。君は僕以外にも、むかしの仲間たちに会ったのかい」
「ハーレイやブラウには会いました。ふたりとも元気に働いていますよ。今度、ご紹介します」
「そう―――良かった。みんな、いるんだね」
 しみじみと彼は目を閉じる。姿形は幼いながらも、内面に宿った魂が彼を幼いままでは居させない。
 ぽつり、呟いた。
 僕はね、先日ようやっとフィシスに再会したばかりなんだ。その関係でキースとも面識を持った。彼に会うまでは自分がどんな行動を取るのか分からなくて少しばかり緊張していたのだけれど。
「彼は何も覚えていない。少なくとも、自覚できる範囲ではね」
「無意識には」
「覚えているようだ。僕を『ソルジャー』と呼んだよ、君のように。けれどもすぐに忘れてしまった」
 哀れじゃないか、とクッキーを齧りながら彼は窓の外に視線を移す。
 忘却が罪のひとつの形としても、僅かなりと記憶の片隅に何かが引っ掛かっているなら、無駄に苦しむ羽目になるじゃないか。ましてや彼は『彼』を愛してくれる両親のもとに生まれようとはしなかった。自分は愛される資格のない人間だと思いこんでいるのなら、それは、かつての敵だとしてもあまりにも。

 ―――あまりにも。

「リオ。君なら感じているはずだ。キースは常に上から監視されている」
 無言で頷き返した。
 個人的に彼の周辺を探っている最中に気がついたのだ。時に、遥か上から動向を見張られている感じがすることに。敵の動きを探っていたはずなのに、逆にその身を案じることになっていて何だか奇妙な気もするが。
「マザーに支配されていた時以上に、彼のこころは安らぐ暇がないのではないかと思えるぐらいにね。本人も無意識の内にそれを感じ取っているのだろう。かなり疲弊している。あれでフィシスが傍にいなかったらどうなっていたのかなんて、考えただけでゾッとするよ」
 ひとの尊厳を穢す行為だとブルーは視線を鋭くする。
 むかしから彼は個々の人間ではなく、人間を支配するシステムにこそ怒りを抱いていた。故に、どれほどの時を経ても根本的に変わることのない社会の仕組みに苛立ちを覚えている。
 彼が机に指先で描いたのは都市名の冒頭2文字と10桁の数字からなる個人登録コード。
「番号ひとつで何でも出来る。確かに便利だ。何かを購入するのも、何処かへ移動するのも、各種証明書を発行するのも、これひとつあれば事足りる。けれどね、よくよく考えてみればかなり怖いじゃないか。僕たちの行動は全て中央の管理システムに報告されているのだ」
 いつ、どこで、誰と、何をしたのか。
 全てがシステムに登録され、必要とあれば照合される。照合するだけに留まらず、極論だけど突き詰めればね、とブルーは薄っすらと笑う。

「数字ひとつを消すだけで、社会的には抹殺できるということだよ」

「―――」
 純粋な驚きにリオは胸を突かれた。
 この星の人間は生まれるとほぼ同時に個人登録コードを配布される。生まれてから死ぬまでをその番号と共に過ごす。
 そう。
 配布されなければ、消されてしまえば、『生まれた』ことすら証明されないのだ。
 確かにそこに『居る』のに、目に見えて触れることもできるのに、何処にも『居ない』ことになるのだ。
「手伝って欲しい、リオ」
 言葉と共に差し伸べられた手を反射的に握る。
 途端、脳裏に青い空間が広がった。主要都市を表す十のサークル、円と円を結ぶ直線、光の筋。細かな力の配置、システム、制御の手順。
「これは………?」
「アストラーペ」
 に、とブルーが珍しくも不敵な笑みを浮かべた。
「不満を抱くなら先ずは地道な反抗活動から始めてみようかと思って。だってね、リオ。公共機関を使えばそれすらも逐一、システムに記録されるのだよ。いい加減鬱陶しいとは思わないかい?」
「だからこれを?」
「いまはまだミュウだけだが、叶うならいつかは能力を有さない賛同者にも使ってほしいと考えている。このシステムならミュウを見つけ出すのにも流用できるだろうし。だが、過去を現在に持ち込むのは本意ではない。君が争いを好まないことも知っている。だから、君が協力できないと答えても僕は―――」
 協力するに決まっているでしょう、とリオは苦笑した。こうして気遣ってはくれるけれど、再会した時点で、彼はリオを計画に巻き込むことを決めていたのだろうから。この分ではハーレイやブラウも当然、頭数に入っているに違いない。
 <マザー>を髣髴とさせる管理システムには反発を覚える。
 かつての仲間を見つけだせたらいいとも思っている。
 放っといたらひとりで何でもやってしまいそうなブルーを助けたい気持ちも勿論ある。
 だがそれ以上に気に掛かることがあって、徐々に、徐々に、世界に対する抗いの姿勢を示しつつあるらしい『指導者』にリオは気遣わしげに問い掛けた。
「………ジョミーに教えなくていいんですか」
「僕は彼の居場所を知らないもの」
 知ろうとしていない、が事実だろうに。
 彼には彼の人生を歩んでもらわないと、なんて、至極当然の顔で彼はのたまうのだった。

 

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※WEB拍手再録


 

マツカがコーヒー淹れのプロならばリオは紅茶淹れのプロだといい(どんなんだ)

「現状に不満があるのなら先ずは自らが動くべきだ」ということで、何気にブルーとキースは

行動パターンが似通ってます。そんなブルーの心境はきっと「キース育成計画」(待て)

ちなみに<アストラーペ>は「アストロラーペ」からもじってます。

「天象儀」とか「天球儀」って意味だったかな? ← 曖昧

 

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