社会の多くがそうであるように物事には確定事項がついて回っている。何かを始める前から結果が見えていることは確かにある。やる前から結果が知れているから誰も動こうとしない。それを、無益な争いが避けられていいことだとのたまう者もいれば、最初から諦めているなんて情けないと嘆く者もいる。
 どちらが正しいのかはさて置き、つまるところ校内の生徒会選挙などというものもある種の通過儀礼と目されていても仕方ない面があった。ただ「承認」していることを自覚するための儀式。逆らう気も争う気もない者からしてみれば只管に面倒くさいだけの慣わしだ。
 だからこそ。
 突然に「承認」の権利を突きつける人物が登場すると一気に動揺が広がってしまう。しかもそれが「認める」方向ではなく「否定する」方向で使われたとあれば、尚更。
 かくてとある一生徒の立候補はここ10年来の「椿事」として扱われ、立候補した当人も一躍、時の人となる。
 育英都市フラーの学歴優秀な高校の一生徒―――キースの名前は、全校生徒の知るところとなったのだ。

 


ブルースカイ・クリムゾンレイン(4)


 

 授業中は静かでも休憩時間になれば教室の其処彼処からひそひそと話し声が聞こえる。振り向けば声は止む。好奇、侮蔑、尊敬、憧憬、拒絶、嘲笑、ありとあらゆる感情が綯い交ぜになったそれを真っ向から浴びていれば精神を病んでいくだろう。
 だが、これはまだマシだ。
 何処から向けられた感情なのか、何故関心を抱かれているのか、理由さえ判明しているならどうということもない。ただ己は己と、己が意志に反しないよう、堂々と前を向いて歩いて行くのみだ。
 ぱたん、とキースが音を立ててモバイルの画面を閉じただけで辺りが一瞬の静寂に包まれた。
 多くが信任表を投ずれば波風立たずに終わっていただろう生徒会選挙。それに好き好んで立候補した奇特な人間として注目されている現状に何を思う訳でもない。それでも場の空気は読める。折角の昼休憩、歓談の時間に噂の対象が近くに居ては彼らとて寛ぎづらかろう。自分とて選挙に備えて色々とやりたいことがある。何せ突然に立候補したものだから応援演説を誰がするのかすら決まっていない。数日中に委員会に正式な用紙を提出しなければならないのに頭が痛い。
 焦っても仕方ないことだと教室を出た途端、廊下でじっと待っていたらしい人物と目があった。非常に言いづらそうにしながらもオズオズと後ろからついてくる。
「あの、キース………」
「なんだ、マツカ」
「その―――どうして急に立候補を? あなたなら静観していると思いました」
「そうか」
「………あなたの行動をよく思わないヒトだって出てきます」
「真の意味で万人に好かれる人間などいない。お前は他人に好いてほしいからなんて理由で自らに委ねられた公共の権力を私欲に腐らせるのか?」
 それよりも、と。
 キースは一端、歩みを止めると後ろを振り向いた。正面から交錯する真っ直ぐな瞳。外見がアレだから弱々しく見られがちな同級生ではあるが、なかなかどうして意志も強い。出会った瞬間に妙な懐かしさを覚えた相手でもある。
 だから、とは言わないけれど。
「何故、そんな斜め後ろを歩く」
「え………?」
 物凄く意外なことを訊かれたとばかりに彼は僅かに目を開いた。
「真後ろに立たないようにと思ったので」
「真後ろだろうと斜め後ろだろうと後ろであることに違いはない」
「ですが」
「隣に並べ。話し辛い」
 同級生相手に敬語を使っているのもおかしい。なんだってそんなにビクビクして―――怯えている訳ではなさそうなのだが―――いるのかと常々疑問に思っていた。あなたの態度が威圧的に過ぎるからですとか、とっつきにくいからですとか言われたら、「そうか」と納得するぐらいの自覚はあるけれど。
 鳩が豆鉄砲くらったような顔をしてマツカは固まっている。これはしばらく思考もフリーズだなと、軽く溜息ついてすれ違い様に耳打ちした。机上の空論を語るつもりはない。だからこれは、そこそこの勝機と自信があっての発言で。
「任命されたら貴様も生徒会に招集する。覚えておけ」
「はい。………って、え、ええ!?」
 素っ頓狂な声を上げ、目を白黒させてる相手はほっといてキースは淡々と階段を下りていった。目的地である1年の教室はもうすぐだ。
 扉を引くと横の窓にだらしなくもたれかかっていた下級生が飛び退いた。いきなりこんな場所に渦中の人物が現れたとあらば仕方がない反応ではある。一体何用で、との疑問も露にしどろもどろに寄ってくる。
 そんなに畏まる必要もないのにと思いながら目的の人物の名前を告げた。どちらか片方だけでも居ればいいと考えていたのだが、幸い、ふたりとも在室していたらしい。下級生が駆け寄る先、教室の片隅で3人が机を囲んで何やら話し込んでいる。突然の呼び出しに訝しげにしながらもふたり揃って来てくれるようだ。
 瞬間。
 残るひとりに物凄い勢いで睨まれた気がした。表情もよく分からないけれど、一見して女と見紛いそうなほど整った顔立ちをした少年だった。
 ひどく当惑気味でありながらも興味深いといった様子で目の前にふたりの少年が並び立った。
「僕がパスカルです」
「セルジュです。あの………今日はどういったご用件で?」
 眼鏡をかけた背の高い少年がパスカル、茶色の巻き毛をしているのがセルジュ。書面上では分からなかった身体的特徴を覚えこむ。
「無理を言ってすまない。実は、君たちが連名で委員会に提出した意見書を読んだんだが」
「あれを読んだんですか?」
「適当に読み流されてシュレッダー行きだと思ってました」
 大抵はそうだろうなとキースも頷く。これは本当に、偶々の、幸運な事例に過ぎないのだ。委員会運営改善案として提出された文章を、大まかであれ後から確認できるなんてことは。
「ログが残っていた。が、こちらも全てを把握した訳ではないからな。実際に詳細を確認してみたかったのだが―――」
 入学してまだ間もないのに現行生徒会および部活動の無駄な点を指摘した着眼点は素晴らしい。しかし、生徒規約に記されている「自由な発言」を実行したところで上に位置する生徒会が受諾しなければ意味はない。
 だからこその訪れだと告げながらあらためて教室の奥へ目を移す。先刻の少年は不貞腐れたように机に突っ伏しているが、意識だけはこちらへ向けているに違いない。背中にチクチクと針のような視線を感じるのはそのためだ。
「後から出直そう。放課後でも、朝でも、君たちの都合がいい時間を教えて欲しい」
「ですが」
 パスカルが眉を顰めた。
「先輩こそ忙しいのではないですか? その―――立候補、なさった訳ですし」
「これからの方針を明確に定めるために君たちに話を聞きたいと考えている。こちらが勝手にやっているだけだから、勿論、断ってくれてもいい」
 それよりもいまは、とさり気なく教室の中を視線だけで指し示す。
「………君たちの友人を怒らせてしまったようだ。邪魔をしてすまなかったと伝えておいてくれないか」
「え? ―――あ」
 教室を振り向いたセルジュがバツの悪そうな顔をする。思い当たる節があったのかもしれない。机に顔を伏せていたはずの相手は、いまはしっかりを顔を上げてあからさまにこちらを睨みつけている。気の弱い人間ならそれだけで狼狽してしまいそうな程の強さだ。なまじ顔の造りが整っているから余計に性質が悪い。
 困ったように頭をかいた後にセルジュがぽつりと小さいながらも強い口調で告げた。
「友人じゃなくて………恋人なんです」
「―――そうか」
 真顔で宣言されて少々面食らった。
 しかしまあ、恋人ならあの少年の態度も理解できなくはない。仲良く談笑していたのを突然邪魔されてしまったのだから。単純にセルジュの恋人が我侭に過ぎるだけかもしれないが、いずれにせよ自分は比較対象を知らないのだから否定することもできない。
「だったらより一層、邪魔したことを謝っておかなければな。だが、こちらとしては君たちの話をせめて選挙前に一度ぐらいは、」
「っ、あのっ」
 何故か今度はセルジュが面食らったような顔をした。背後のパスカルも僅かばかり意外そうな表情を浮かべている。
「どうかしたか」
「いえ、その………先輩は、気にしないのかな、と」
「何を気にする必要がある」
「―――ジルは、男なんですが」
 それがあの少年の名前か。しかし、相手が困惑している理由がさっぱり分からない。
 廊下の先に視線を流すといつの間にか追って来ていたらしいマツカと目があった。何故かそれを見てようやく思い至る。ふたりが戸惑っている理由と、聞き耳立てている連中が微妙に動揺しているらしい理由に。
 だが、こちらの答えは動揺の原因に気付こうと気付かなかろうと同じである。
「それで?」
「―――はい?」
「それで、どういった反応を示してほしいと? こちらの反応次第で君の対応も変わるのか。そもそも拒否されたぐらいで君が彼に向ける感情が変化するとでも言う心算か」
 ぱちぱちと下級生が目を瞬かせる。
「君が君自身と彼に対して誇りを抱いているのなら周囲の反応を気にする必要はない。他の誰に何と言われようとどんな反応を示されようと堂々としていればいい。無論、他者に迷惑はかけない範囲での話だがな」
 君の抱いた疑問はそれだけかと問い掛ければ、セルジュは満面の笑みと共に力強く頷いた。
「はい! ありがとうございます!」
 礼は不要だと答えようとしたのだが、何故かパスカルまでもが嬉しそうにこちらを見ているので素っ気無い返事をするのは躊躇われた。
 早々に次の面会の約束だけを取り付けて野次馬が集まりつつある教室前を後にした。よくよく考えると、わざわざ教室を訪れずとも下校時間に正門で待っていればよかったのではなかろうか。あるいは、生徒ごとに割り当てられるメールアドレスを使用するとか。どうにも今回の行動は悪手に思えてきて、自覚はなかったが己が随分と浮き足立っていることが窺えた。
 誰にも分からないほどの失笑を刻んで廊下を進んでいく後ろからマツカがついてきた。
「………キース」
「なんだ」
「いまの僕では並んで歩くことなんてできません。でも、あなたが本当に生徒会に選任されたら―――、きっと」
「オレの立場次第で変わるのか」
「変わるのは僕の覚悟です」
 やたらきっぱりとした口調に。
 ほんの僅か首を傾げて背後を見れば、同級生の強い瞳とかち合った。これまでにも見たことがあったような、なかったような、不思議な色と強さを湛えて。
 そうだ、こいつはむかしから芯が強かった。
 妙なところで押しが強くて譲らない一線を持っている。それがどれほどに『むかし』のことなのか、咄嗟には思い出せなかったけれど。
 教室へ戻るまでの道中、そんなことばかりを考えていた。




 翌日以降もキースは各教室を訪ねて回った。生徒会の面々も校内放送やポスターで様々な活動を行っているのだから個人的に回るぐらい大目に見られて然るべきだろう。幸いにして生徒規約には「立候補に当たりひとりで行動すべからず」等と記されてはいないのだから。
 各人を訪ねるならやはりメールで先に問い合わせる方が礼儀に適っているかと零したら、何故かマツカに「直接尋ねた方が熱意が伝わります」と主張された。
 どうしてお前が急に口を挟んでくるのかと瞬間的に疑問が沸いたが、個人的見解を返されたに過ぎないなら反論するのも筋違いだ。そして、それを受け入れる、受け入れないはキースの自由である。
 結局、自分は足を使うことを選んだ。書面では感情が伝わりにくい。こちらの考えを読み取ってもらえないかもしれないことは勿論、相手の感情を読み違える可能性を憂えた。直に話を聞ける内は直に聞いた方がいいのだ。………たぶん。
 そうやって朝や昼や放課後の時間を消費している最中に、覚えのある後ろ姿に再会した。
 友人たちと談笑しながら遠ざかっていく銀髪。
 あれは。
「ブルー!」
 反射的に名前を呼んだ。周囲が呆気に取られているのも気にせずに階段を足早に駆け下りて歩み寄る。
 近付くほどに確信する。間違えるはずがない。自分が「彼奴」を見誤るはずがないのだ。
「ブルー。………耳が遠くなったのか」
 再度の呼びかけに振り向くのは他者ばかり。ここ数日、校内を練り歩いたおかげでキースの顔は多少なりとも知れ渡っている。だからか、相手の名前を呼ぶ毎に周辺の動揺の方が深くなっていく。
 見かけたなら見かけたでフィシスに裏を取った上で連絡すればよかったのか、あれ以来ちょくちょく家に遊びに来ているようだしそっちの方が確実だったかと、今更思い至ったところで動き出した足をなかったことにすることはできない。
 後ろをついて歩きながら幾度目かの呼び掛けをしたところで漸く相手が振り向いた。
 分厚い眼鏡ごしにも分かる不機嫌な表情。
 瞳の色は、真紅。

 

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※WEB拍手再録


 

きーす は こまんど 「せっとく」を つかった!

せるじゅ と ぱすかる が なかまに なった!

………RPG?(謎)

本当はセルジュたちのシーンは全面カットだったんですだなんて言わないさ、言わないとも。

 

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