本当にもう、関わる心算はなかったのだ。
 確かに同じ学校に入学はしたけれども彼の傍に纏わりつきたくも無かった。気分的には影の護衛だ。かつての敵に対してその対応もどうかと思えど無駄に敵意を煽る気持ちはなく、彼自身が上から監視されていることを考慮すればこちらがより一層、裏に潜むのは当然と思われた。
 目立とう精神も持ち合わせていない。それとなくクラスに溶け込んで地味に日常を送りたかった。表情を隠してくれる伊達眼鏡は非常に役に立つ。どつきあったり馬鹿なことを話したり、およそ過去生においては願うことさえ叶わなかった環境をいたく気に入っていた。
 なのに。
 静かに見守ろうと思ってたのにどうして向こうから寄って来るかな、ああそうか事前に「学校で見かけても構わないでくれたまえ」と告げておかなかった己の不手際かと、突然にこちらを呼び止めたキースを見ながら、愚痴の対象を相手にするか自分にするかで少々悩むブルーである。
 あからさまに無視してたってのに懲りずに追いかけて来る辺りは流石と言おうか何と言おうか。校内でも有名な「生徒会長候補」の登場にむしろ周囲の同級生の方が萎縮してしまって、それがブルー自身への疑念に発展しそうになっているのが読み取れて、結局は立ち止まらざるを得なかった。
「ブルー」
「お久しぶりです、先輩」
 公衆の面前で「先輩」にぞんざいな口を利くほどアホではない。
 何か言いたそうな相手の動きを笑みで封じるとゆっくり同級生たちを振り向いた。
「ごめん、皆。先に行っててくれないかな」
「そりゃあいいけど、さ」
 教室に戻ったら質問攻めに合うだろうことを覚悟しつつ、クラスメートたちを笑顔で見送った。
 彼らの姿が消えるや否や、仏頂面で振り向いたブルーは突っ立ったままのキースの背中を押して廊下の影へと引っ込んだ。いまや彼は生きた広告塔である。全校生徒から注目の的になっている人物の隣を歩くだなんて冗談じゃない、頼むから僕の平和な学園生活を壊さないでくれと願うブルーは、望む望まないに関わらず自分もまた目立つ性質だということに気付いていないのだった。
 これじゃあこっちが悪役みたいだと感じながらあらためて「先輩」を振り返る。
「ここならいいだろう。何か用かい、キース」
「特にない。ここに居ると知らなかったから呼び止めてみただけだ」
「それだけのために何度も名前を? 普通、あれだけ反応がなかったら人違いだと思って諦めるんじゃないのかな」
「見間違えた可能性よりも貴様の耳が遠くなっている可能性の方が高いと考えた」
 素っ気無い言葉に同じぐらい不躾な言葉が返される。
 フィシスにも教えていなかったのかと問われれば流石にそこは「教えていたよ」と正直に答えるしかない。自分が否定したところで彼が問い詰めたならフィシスは素直にありのままを答えるだろうから。
「僕が口止めを依頼したんだ」
「幾ら広いとは言え同じ敷地内にいる。すれ違う可能性ぐらい考えなかったのか」
 敷地は広いし生徒数は多い。だから見つからずに済むだろうと高を括っていた部分はあるかもしれない。が、そんな可能性の話より先に、単純に彼に知られたくなかったのだ。
「生徒会長候補と顔見知りだなんて何の自慢にもならないよ。僕の信条は地味に、目立たず、波風立てずに過ごすことなんだ」
「物凄く現実からかけ離れた信条だな」
「君が精力的に活動するからいけないのだ。おとなしくクラスに引き篭もって優秀ながらも自主性のない一生徒を演じていればいいものを、わざわざ下級生のクラスまで出向いて討論を吹っ掛けるとは―――何が望みだ」
「生徒会は教師と生徒の間に立つべき存在だ。上が望む内容は式典だの定期通信だのでしょっちゅう語られているのに、生徒の希望がほとんど伝わって来ないのは問題がある」
「だから聞いて回っていると? マメだね」
「新入生が一番、真っ当な目を持っている。内部に浸れば浸るほど一般概念の通用しない現場の理論に縛られてしまうものだ」
 己でさえ例外ではないと言いたいのだろう。つまるところ、『彼』は自分こそが唯一絶対の正義であるとの考えを捨て明確な協調路線に転じた―――とも、考えられるが。
「君が会うのは優秀と目される人物ばかりだ。君は君の目で『選別』を行っている。一般の、本当に単なる一生徒の意見に耳を傾けようという気はないのかい。それをしないなら君は常に独裁の危険に付き纏われることとなる」
「独裁政治と衆愚政治のどちらがマシかという話か。だが、それはオレが生徒会長に選ばれたらの話だろう。現段階で多数の声を聞くのは物理的にも時間的にも不可能だ。大抵の生徒が日和見の状況でそんな仮定を論じて何になる」
 尤もな言い分にブルーは軽く笑った。
「理想の高いことはいいことだよ、キース。けれども近づきたいとは思えない領分だ。君が目をつける人物、イコール優秀な人物だとの周囲の憶測が既に働き始めている。僕自身は平凡だし運動も苦手だってのに勝手な色眼鏡で見られるのは真っ平御免だ」
「こちらが何かするまでもなく貴様は目立つと思うがな」
 声を掛けただけでその対象と考えるとは、この学校の連中は短絡思考なのかとキースは首を傾げる。
 無関係の人間に声を掛けることこそ少ないが、常に生徒会関連の人間にしか呼び掛けない訳でもない。いっそ周囲の誤解を利用して生徒会入りでも希望してみるかと問われれば、それこそとんでもない冗談だとわざとらしく天を仰いだ。
「あまり関わらずに居ようじゃないか、キース。君とて僕に必要以上に関わりたくはないはずだ」
「何故?」
「君は僕の瞳が嫌いじゃないか」
 こころの奥に隠されたものを、覗く深遠を嫌うというのなら、付き合って行ける道理も義理もない。
 だって彼は、どうして己が血の色を忌避するのかを未だ自覚していない。そして、自覚してもどうにもならないのだ―――こればっかりは。
 眉を顰めるばかりの相手にブルーは素っ気無く手を振った。
「それじゃあ失礼するよ。呼び止めた理由がただ呼び止めたかったことだけにあったなら疾うに目的は達したろう?」
「………ああ」
 ここを入学先に選んだ理由とか、黙っていた理由は「目立ちたくないから」だけなのかとか、かつての彼なら舌鋒鋭く切り込んできただろうことにも反応を示さない。仇敵としては少々の物足りなさを感じないでもない。
 どうしたものかな、なんて。
 遠ざかりながらもほんの少しばかり気に掛けてしまったのが敗因か。でなければあんな些細な感情の歪みに気がつくはずがない。歪みと表現するのもおかしな感じだけれど、悪意と表現するにはヤワ過ぎる第三者の感情。
 一旦は廊下の向こうに去りかけたがこれも性分かと半ばの溜息。手近なベンチに腰掛けて形ばかりは本を読んでいる格好を整える。そして、今し方立ち去ったばかりのキースのもとへ精神だけを『飛』ばした。
 先刻のキースよろしく相手を呼び止めたのは見覚えがあるようなないような男子生徒。相手から見えないのをいいことにじっくりと正面から顔を見詰めて、漸く思い出した。
 彼は、現生徒会メンバーのひとりだ。
 当事者の一方たるキースは平然とした顔でその場に佇んでいる。
「何か用ですか?」
 相手が生徒会のメンバーだと気付いたのだろう。キースも表面上は丁寧な態度を貫いている。
 向こうは自らの名前と立場を名乗ることもせず、「君がキースか」と話し始めた。誰もが自分を知っていて当然と思っているらしい。これでキースが「何方ですか?」と問い返したら話はそこで終了なのだが、如何せん、無駄に優秀な生徒会長候補殿はそんな笑える場面を用意してはくれなかった。
「君の活躍は耳にしている。下級生の取り込みだの教師連への売り込みだの、精力的に活動しているようじゃないか」
「恐れ入ります」
「ああ、警戒させてしまったならすまない。確かに僕は生徒会メンバーとして活動してはいるが、君に文句がある訳じゃない。現行生徒会の振る舞いには行き過ぎたところがあると僕自身も感じていたんだ」
 誰にも分からない理由で、ぴくり、とキースの眉が微かに動いた。
 いや、マツカがその場に居たなら分かったかもしれない。生憎とこの場で彼の感情を理解できるのは『居ない』ことになっているブルーのみだったが。
 キースは。
 ひどい虚しさを感じていた。
 くだらない内容だろうと用件を切り出される前から予測をつけて、話を聞く前から勝手に予想している自分に落胆してもいる。実にややこしい。
「君が望むなら現生徒会の帳簿の詳細を打ち明けてもいい。これだけの使途不明金があると分かれば生徒会の絶対的な基盤も揺らがざるを得ないだろう」
「あなたも、ですか」
「必要に迫られてだよ。どうしようもなかった」
 軽く、首を振る。
 いまの生徒会からキースの作る次期生徒会に乗り換える心算か。現生徒会の悪事を暴く代わりに、来るべき生徒会での悪事を見逃せと持ちかけている。
 キースが実際に生徒会長になる、ならないは関係ない。なれなければそれだけだ。なったならこの『裏取引』に応じたことを盾に色々と口出しも出来るだろう。高が学校の運営に10代の少年がしたり顔で首を突っ込んでくれるものだ。妙なところばかりこまっしゃくれて可愛げがないことこの上ない。
(まあ、僕が言えた義理じゃないか)
 魂の記憶はともかく実年齢は中高一貫校における最下層だ。
 キースは落ち着いた態度と表情で相手に向き直る。
「要求は?」
「また生徒会に加えてくれればいい。君のもとで働けるならそれだけで充分さ」
 謙虚にも厚かましい要求を白々しく述べる。
 だが、こうやって面と向かってくる辺りはまだ組みし易い。本当に恐れるべきは表に立たずに全てを秘密裏に運んでくる、搦め手を得意とする策士だ。
(さて―――どうする?)
 実体のない身体を壁に持たせかけてブルーは眼前の上級生を見詰めた。
 幾度かの瞬きののち、キースは徐に口を開くと、
「わかりました」
 許諾の言葉で相手に喜色を浮かべさせてから、

「このお話はなかったことにしましょう」

 あっさりと断ち切った。
 わかりました、とお断りしましょう、の連結が出来なくて男子生徒がぽかんと口を開けて静止する。
「生徒会長に選ばれた場合、オレは最初に現行制度の解体に取り掛かります。当然、指揮系統も変わる。廃止になる役職もあれば新たに用意する役職もある。申し訳ないが、あなたの要望通りの役職が用意できるとは到底思われない」
 ―――正直すぎる。微かにブルーは唇の端を噛んだ。
 何をやっているのだ、『キース・アニアン』。
 相手の要求を飲んだと見せかけて後で掌を返すのが常道だのに。誰が聞いている訳でもない口約束だ、必要な情報を聞き出すだけ聞き出した後に切り捨てればよいものを、何を馬鹿正直にありのまま話してるんだ見習い当時のジョミーじゃあるまいし。
 浮かんだ考えに今度こそブルーは苦虫を噛み潰したような顔になる。
 真っ直ぐで、真っ直ぐで、逃げることも逸らすこともできなかった愛し子。
 どうして『彼』の中に似通ったものを感じなければならない? それこそが、あの戦いにおいてジョミーが相手の魂に『何か』を刻み付けた確かな証なのだとしても。
 一礼して立ち去る背中に青褪めた男子生徒の声が被さる。
「こ、の………っ! 馬鹿にして! 知ってるんだぞ、お前が精神監査の常連客だったって!!」
 キースの歩みが止まった。
 それに勢いを得たかのように調子付いた言葉が続く。
「お前、小さい頃から妙なものが見えてたそうじゃないか。何度も精神科医の診察を受けたんだろ? 晴れの生徒会長候補様が危うい精神をお持ちだとは、生徒たちはともかく親連中はなんと言うかな!?」
 腹立たしくともその言葉には一理ある。
 精神鑑定を受けた者に周囲の目は厳しい。たとえいま現在は問題がなくとも、病気の一種との診断がなされるとしても、それだけで容易く排除の対象とするのだ―――『ミュウ』を見つけた、かつての地球人の如く。
 ゆっくりと振り向いたキースの顔に動揺の色はなかった。
 自らの優位を確信しているだろう姿に、ぽつり、と返す。

「好きにすればいい」

「―――え?」
 流石に意外すぎる言葉だったのか、相手は惚けた表情になった。
「好きにすればいい、と言った」
 同じ言葉をもう一度繰り返す。
「精神鑑定を受けたのは事実だ。それを周囲に言い触らすのもネットに書き込むのも役員に告げて回るのもあなたの自由だ。どうせ教師連中には知られている」
「な………お、お前、どういう意味か分かって………!!」
「失礼します」
 いずれにせよ、あなたに話を持ちかけられたことを他にはもらしませんよと付け足して。
 今度こそキースは踵を返し、その場には生徒会メンバーとブルーのみが残された。
 男子生徒が次に取るだろう行動には大体想像がついたから、ブルーは精神を肉体へと連れ帰る。『現実』の手を組み合わせ、脳裏に浮かぶ後ろ姿に「馬鹿だなあ」と呟いた。
 確かに事実は事実だが、他人の手や口や目を通したならば途端に歪められてしまうのに。その上で全てを受け入れようと覚悟しているのか。話せば分かってくれると信じているのか。ひとりでも理解者が得られれば満足するのか。
 立派な心がけだね、敵がどんな卑怯な手を取ったとしても自らは正道を貫くのか。とてもじゃないが過去生において軍事クーデターを起こした男と同一存在とは思われない。
 いや。『キース・アニアン』の鋼の精神は未だ根深く息づいている。
 ただ、その方向性を少し変えているだけだ。
 目の前に示された幾つもの選択肢。『キース・アニアン』が必要ないと切り捨てたものを、愚かな手段だと断ち切った道を、「キース」として選び直すかの如く。
(………僕も、馬鹿だな)
 かつての『彼』といまの「彼」が別人だと理解していたはずなのに、今更のように驚いて、信じきれずに疑っている。
 緩く苦笑を零すとブルーは席を立った。
 必要以上に手を貸す気はない。それでも。

 それでも、と。
 ブルーは思った。

 


ブルースカイ・クリムゾンレイン(5)


 

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※WEB拍手再録


 

場面的にはもーちょい書いておきたかったんですが、長くなってきたので一回切ります。

いーかげん生徒会選挙ぐらい終わらせようぜ、自分!!

 

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