ブルースカイ・クリムゾンレイン(6)


 

 綺麗な空が頭上に広がっている。何処から見ても会議の内容が筒抜けの、青空会議と言えば聞こえはいいが単純に会議室を取れなかっただけの集会。だったら教室でやればいい、わざわざテラスで雁首並べて語り合う必要はないと呆れられることは分かっているが、何処に集まろうとも結局は衆目を集めるのであればいっそ晴れやかなまでに堂々としてやろうと思っただけだ。
 ―――とは言うものの。
 そんな自分に反抗するでもなく「いいですね、偶には外で話し合いましょうか」等と乗ってくる下級生や同級生たちも相当に物好きだとは思うのだ。
 しかし、何故だろう。衆目を集めるのはいつものことだが、今日は富に周囲の視線が強い気がする。
(昨日の話が広まったか)
 キースはそう考える。
 例の現生徒会メンバーを素気無く追い返したのは自分である。いま思い返してもあれはなかなかに愚かだったと思う。他に目撃者がいるでもなし、誓約書を書かされた訳でもなし、高が口約束と割り切って利用するだけ利用すれば良かったのだ。
 だが、何となくそんな気にはなれなかった。自分が鑑定を受けたことは事実である以上、隠し通すことはできない。いずれは明かされるなら隠し立てするよりも最初から認めた方がよいと判断したのだ。それに関して悔いる心算はない。
 だが、あの噂が上級生から順にじわじわと伝わっていくのなら、いずれはこうして話しているセルジュやパスカルにも伝わって、彼らが友人たちに笑われる原因になるのかもしれないと考えると、僅かではあるが表情に憂いの色が濃くなってくる。こんなことでいちいち憂える等と、ついて来てくれた彼らへの侮辱にも当たるとも思えども、尚。
 あの上級生に指摘されるまでもなく、自分が検査を受けた身であることを打ち明けるべきだと文章の下書きまではしていた。が、結局は踏ん切りがつかずに個人のディスクスペースに保存したまま誰にも見せていない。すべて自らの優柔不断が原因だ。
「どうかしましたか、キース」
「なんでもない」
 マツカの言葉に否定を返したが、いまの遣り取りだけで他のメンバーも自分の態度がいつもと若干異なることに気付いたようだ。来年度の予算がどうだの監査がこうだのと話し合っていた口をピタリと止めて神妙な顔つきでこちらを見つめている。その視線にいつもとは違う感覚を得て、けれどもそれはどうにも掴みようのないものだったから僅かにキースは首を傾げた。
 その、ほんの少しだけ傾いた視界の向こうに昨日あったばかりの顔を見つけて眉間に皺を寄せる。なんだってあんな男があんなところにいるのかと考えている間にもズンズンと近づいて来て、突如として胸倉を掴まれた。
「貴様! よくもやってくれたな!!」
「―――何か御用ですか、先輩」
 あなたとは今日がようやく二回目の出会いのはずだがと訝しげな表情を浮かべてみても、相手は忌々しげに睨みつけてくるばかりだ。確かに彼の誘いは断ったが、どうして時間差で恨まれなければならないのかと疑問に思う。
 隣で唖然としていたセルジュが我に返り、キースの首にかかっていた上級生の腕を払いのけた。
「いきなり何ですか! 上級生ならばもっと礼儀正しく振る舞ってください!!」
 更に言い募ろうとする部下を片手で制する。
「すみません。何か行き違いがあるのでは―――オレが何をしたと?」
「抜け抜けと! こちらの番号を使えないよう小細工を弄したのは貴様だろう!!」
 今度こそあからさまにキースは眉根を寄せた。
 番号と言われて思いつくものは個人登録番号しかない。商品の売買だのネットのログインだの身分証明書だの使い道は多岐に渡るために、誰もが肌身離さず持っている。当然セキュリティも高く設定されており、相手の番号を盗むことは愚か停止だなんて事態に追い込めるはずもない。勘違いしているのではないだろうか。そもそも、「何のために」という理由が欠けている。
「オレが何かしたと仰るのなら、ログを確認していただいても結構だが」
「それで自らの無実を証明したつもりか? こちらの番号を停止できるほどのスキルを有した者が、ネットに自らの痕跡を残すような愚を犯すはずがない!」
「では、誰かが敢えてオレに罪を擦り付けようとした可能性もあるということですね。そのようなスキルを有した者ならば履歴など如何様にも操れるでしょうから。そもそも、あなたがオレを第一に疑う理由が理解できない」
「しらばっくれるな! あのタイミングが何よりの証拠だ!!」
「タイミング?」
「僕が貴様の病歴を暴露するより先に貴様の謝罪文が公開されていた! それが全てだ!!」
「―――」
 ざわり………、と響いた。
 観衆のどよめきもキースの耳には届いていなかった。
 謝罪文? なんのことだ。誰が、そんな、公共の場になど。
 無言を貫いているキースを庇うように今度はパスカルが進み出た。
「失礼。―――個人登録番号が停止させられたかどうかの真偽はおいておくとして、いまのあなたの発言は聞き捨てならない」
「そうです。あなたはキース先輩の病歴を暴露すると言った。………何をする心算だったのですか」
 パスカルの言葉にセルジュが続く。
 一瞬、怯んだように見えた相手も負けじと「そいつが隠そうとしていたからだ」とこちらを指差す。
 先輩は自分から進んで公開していたじゃないですかと、だからそれを恐れてこちらの番号を停止したのだと、何処にそんな証拠があるのかと、堂々巡りの議論が繰り返される。
 先刻の発言が効いたのか聴衆はこちらに味方してくれている気配がある。だが、キース自身は討論に加わるでもなく呆然とその場に佇んでいた。
 知っている。
 知っている、のか。みんな。
 その上で尚、いつも通りの態度で居てくれたのかと―――それだけは嬉しく感じられるのに。
「マツカ」
「はい」
「お前も、それを、読んだのか」
 胸の内には。
 抑えようもない。
「は、はい。全校生徒宛てに一斉配信されたので、回線を開かなかった者以外は全員知っていると思いますが………」
(どんな内容だった)
 口に出されなかった問いを察したマツカは、眉根を寄せながら僅かに右手を触れ合わせた来た。
 触れた指先から伝えられた文面は確かに自分が考えていたもので、悩んだままに放置したそのままの状態で、他の誰にも書けない文章だろうことは明らかで。
 誰だ。
 誰が、こんな、真似を―――!!
「っ!!」
 振り仰いだ先。
 校舎の屋上の鉄柵に寄りかかる影を見た。
「待て! 何処へ行く!?」
 駆け出そうとしたキースを呼び止めたのは現生徒会のメンバーだった。
 いまはこんな奴に構っている暇はない。問い詰めなければならない相手がいる。舌打ちと共に胸元からカードを引き抜くと、思い切りよく地面に叩き付けた。
「オレが! 疑わしいと言うのなら好きなだけ調べればいい。くだらない議論に付き合わせるな!」
「なっ………」
 相手がぱくぱくと口を開閉する。
「セルジュ! パスカル! お前たちもだ。擁護してくれるのは有り難いが程度の低い議論に付き合う必要はない。書類をまとめて教室に戻れ! 夕方に再び召集をかける。それと―――」
 ちらり、と視線を動かして。
 未だ口をあんぐりと開けたままの上級生に眼を留めた。
「………先輩が望むのであれば、そこにあるオレのカードのログ調査に付き合ってやってくれ。未だ番号が停止されているのであれば解除申請も手伝ってやって欲しい。以上だ」
「は、はい!」
「わかりましたっ!」
 慌ててセルジュとパスカルが敬礼をする。聞き手に回っていた他のメンバーまで揃って敬礼していて、お前たちは何処の軍人だと少しだけ皮肉げに口元を歪めた。
 後ろも見ずに走り出す。すれ違う面々が一様に驚きの表情で見送るのも構わず、目立つとの思いも抱かず、階段を3段飛ばしで駆け上る。
 屋上に続く扉を開け放った。
 正面の鉄柵に身を寄せた小柄な背中が見える。
 無言で歩を進めると、ゆっくりと相手はこちらを振り向いて、読めない眼鏡の奥で笑みを閃かせた。
「やあ、キース。どうかしたのかい。いきなり飛んで来るだなんて」
「―――パーソナルスペースから文章を落としたのは貴様か」
 挨拶もなしにいきなりそれかい? しかも決め付けだ、とブルーは肩を竦めてみせた。
「先刻の君と彼の遣り取りではないけれど、君がそうと確信する証拠はあるのかな」
「勘だ」
 途端、堰を切ったかの如くブルーが笑い出した。声だけ聞けば非常に暢気に思えるそれも、事、この場面に置いては腹立たしいものとしか感じられない。
「これはまた………! あれほど見事に敵を切って捨てた君が、その敵と同じ振る舞いをするとはね!」
「そうだ。そして、貴様がやったと言う証拠がなく、否定する材料も存在しない点も同じだな」
「でもねえ、キース。もしも僕が犯人だとしたならば、一体、君はどうしたいんだ」
 こいつがハッカーだと公衆の面前で非難するのか。万人を納得させ得る証拠がないと承知の上で。
 その行動の結果は何処へ帰る? キース自身だ。奇しくも大勢の聴衆の前で「暴露するつもりだった」ことを暴露したあの少年の如く、今度は己が批判される側に回るのだ。
「キース、君の一番の目標はなんだ。上と下の間に立って、腐ったシステムに改革のメスを入れたいんじゃなかったのか。未だスタート地点にすら立っていない君に、降ってわいた幸運を無視するだけの余裕があるのかい?」
「オレは望んでいない」
「何処かの誰かが偶然にも行動を起こしてくれただけだ。清廉潔白なままに願いを叶えようとしても限界がある。まあ、自己憐憫に浸りたいなら止めはしないけどね」
 キースは僅かに歯噛みした。
 この会話だけでも目の前の人物こそが今回の騒動の原因であることに間違いはない。
 無論、証拠はない。少なくともあの場にブルーはいなかったし、番号を停止した手法など分かるはずもないし、当然、ディスクスペースにアクセスした痕跡など全く残されていないと思われる。
 更に恐ろしいことは、ネット上ではあたかも「キース自身が文章を送信した」ように改竄されているだろう事実だった。
 そしてまた、あの文章を公開していなければ、今頃、自分はとんでもない誹謗中傷に見舞われていただろうことも。

 腹が立つ―――間違っているはずなのに、否定しきれないだなんて。

「何を考えている」
「言ったはずだ。僕は平穏に過ごしたいだけなんだと」
 だから選挙なんてとっとと終わるに限るんだよと、相変わらずの喰えない笑みを少年は浮かべる。
 苦々しい思いと共に吐き捨てた。

「―――オレは、貴様が、嫌いだ」
「それはよかった。これで互いに互いが嫌いだと自覚できたじゃないか」

 自覚を伴わない状況から一歩前進したじゃないかと皮肉げに笑う。
 眼鏡の隙間から覗く真紅が哂う。
 いつかその眼を抉り出したなら、その首を絞めたなら、少しは胸がすくのだろうかと不穏なことを考えながらキースはやっとの思いで踵を返した。
 これ以上ここに留まっていたら、本気で殴りかかりそうだったから。




 荒々しく閉められた痕跡のある扉をゆっくりと押し開く。目的の人物はまだ其処に居て、自分の読みが外れていなかったことにほっとした。
 先刻、すれ違った彼の精神はひどく乱れていて内容を読み取るどころではなかった。彼の傍にはセルジュたちが付いていてくれるから、敢えて、事情を知っていると思しき一方の当事者に近付いた。
 のんびりと屋上の鉄柵に寄りかかった姿に問い掛ける。
「あなたは………キースの、敵ですか」
「君は、キースの味方だね」
 はじめまして、マツカ。君が彼の傍に居ることを心強く感じるよ、と。
 伝えられた言葉は確かな心話だ。
「僕は最初から彼の敵だよ」
「でも、結果だけ見ればあなたは彼を助けています。この学校はまだまだ保守的ですし………確かにあれは他からの横槍を防ぐ最後のチャンスでした」
 経歴を明かすことで離れる者も居るだろうが、正直に告白したことで多少なりとも補正は効く。あれ以上、発表のタイミングが遅れていたならこの一件はキースにとってマイナスにしかならなかったはずだ、とマツカは続ける。
「君の尊敬する人物が、卑怯な手を嫌うだなんて珍しい顔を見せてくれたからね」
「敵だと言うのなら、ブルー。彼が生徒会長になる手助けをする意味が分かりません」
「僕だって気紛れぐらい起こすさ。無意識の領分すべてを把握している訳ではない」
 不安を感じるにしても君の力があれば僕を牽制することぐらいできるだろう? 真実、命を張って彼を守った君ならば。
「いずれにせよ、先刻の遣り取りで大勢は決した。キースに非があるとしても、それ以上に非を求めやすい発言をわざわざ相手がしてくれたからね」
「それも故意ですか?」
「まさか!」
 流石の僕だって腹話術は習得してないよと笑う。
 戸惑いと共に過去における敵を前にしながら、何気なく逸らしたマツカの視線の先に、どんよりとした雨雲が僅かずつ広がり始めていた。

 

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※WEB拍手再録

 


 

今更ですが「ブルースカイ」がキースで「クリムゾンレイン」がブルーです。

 

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