時代の移り変わりは劇的なようでいて緩やかだ。後年、まさにあの瞬間こそが転換点だったのだと言われるような出来事でさえ当事者たちにとってはさり気ない日常の一幕に過ぎない。そこに歴史の流れを見い出す者は稀であり、また、稀であるからこそ人々が平和を満喫できるのかもしれなかった。
 少なくともたかがひとつの都市のひとつの学校の、とある生徒会のメンバーが大幅に入れ替わったからといって、人生を揺るがす大事件に発展すると捉える人間がいようはずもない。
 投票は実に公明正大。透明のボックスに投函された用紙を、どの部にも属していない生徒たちがボランティアで開票した。実にアナログで非効率的な開票作業ではあったが、少なくとも誰かしらの目は光っているとのことで堂々と不正を働くには聊か都合が悪かった。
 かくて生徒会の面子は大幅に変更され、本当にこんなことも起こり得るのだと教員や生徒たちを驚かせた。当選した側は特にどうという顔もしていなかったので騒いだ側は妙な決まりの悪さまで感じたらしい。
 そして、これは面白い、我が校はじまって以来の一大事だと自称新聞部の生徒が騒ぎ出し、引き継がれる予定の生徒会室にこっそり忍び込んだ結果、驚きの光景を目の当たりにしたのは全くの余談である。
 何に驚いたかって、備品として用意されていたであろうパソコンがほとんど起動エラーを出しており、椅子や机は蹴散らかされ意味不明の書類の束が積み重なり足の踏み場もなかった。壁にはよく分からない落書きまであって、以前の部屋の主が荒らしていったのは明らかで。かつて某国の政府では二大政党間で大統領の座を交換するごとに些細な嫌がらせをしていく『伝統』があったらしいが、幾らなんでもこれはないだろうと侵入者は呆れた。
 部屋の入退室はカードキーで管理されているから下手人も明々白々。早速に新生徒会の仕事始めは備品揃えと決定されたのである。尤も、そのお陰で大衆の同情は変えたし、前生徒会に対して「証拠隠滅」の嫌疑も堂々とかけることができるようになったのだから良かったのかもしれないが。
 より穿った見方をするならそれこそ新生徒会の「ヤラセ」かもしれなかったのだが、いずれにせよ新しい生徒会長は罪の追求にあまり熱心ではなかった。生徒会運営に関しては素人だからと旧生徒会の面子を何名か役員に引き入れて、堂々と元生徒会メンバーの知恵を拝借しに行くことまであるのだから、訪ねて来られた者は随分と居心地が悪かったろう。
 そんなこんなで、比較的波風たたずに新しい生徒会の運営は始まったのだ。
 ―――が。

 


ブルースカイ・クリムゾンレイン(7)


 

 パソコンのキーボードを打つ音だけが室内に淋しく響いている。淹れたてだったはずのコーヒーも今は冷え切って音に反応して微かに水面を揺らすだけだ。
 窓の外はどんより薄曇。間もなく雨が降ってくるだろう。かつては雨の量を科学の力で調節しようとか、どうせなら金銀に着色して目を楽しませようとの提案もなされたようだったが、結局は「そのままがいい」との説が支持されていまに至っている。
 どうでもいい話だ。量が多かろうと少なかろうと、色が金だろうと銀だろうと真っ黒だろうと真っ青だろうと、自分には「赤」に見えることに変わりはない。
 知らず溜息を零した後でキースはモニター画面をスクロールした。
(―――フィシス)
 作業の合間に姉の顔を思い出し、プログラムを打ち込みながら悪いことは重なるものだと黄昏る。
 ひとつ目は、前生徒会の嫌がらせだか証拠隠滅だかで悉くパソコンが壊されていたこと。
 新しい備品の注文は行ったが、それが届くまでは動作が遅く、堅苦しいプログラム言語でしか操作を受け付けない旧型パソコンでどうにかしなければならない。
 ふたつ目は、生徒総会の締め切りが近づいていること。
 前回の投票で総意は得たとしても生徒総会は重要視される。それまでに新しい組織図や公約、役割分担を終えておきたいのだが、刷新しようとすると上下への連絡網も一新しなければならず、従って処理すべき仕事も増える。しかもまとめ役は基本的に自分なのだから自分が考えなければ始まらない。
 みっつ目は、何故か今日に限って全員が全員、他の用事が入っていたこと。
 セルジュもパスカルもマツカも諮ったかの如く同じ日に抜けられない用事を抱えていた。他メンバーにしても似たり寄ったりで、偶然もここまで来ると驚きを通り越して清々しくさえある。
 マツカは残ると主張したが無理をしてもらいたい訳ではない。間に合わないなら間に合わないで明日以降、全員の手を借りる。そう説得して帰ってもらったのだが、あの表情は納得しているとは言い難かった。不承不承、帰り際にコーヒーだけ淹れていってくれたのだが、常と比べていがらっぽい感じがするのは胸中にごくごく僅かに存在する罪悪感の所為なのかもしれない。
 ―――喩えば。
 彼の手を借りたなら仕事は一気に片付いたろう。そうすることもできたのに、そうはしなかった。
 理由は分かっている。逃げ腰になっているだけだ。意味もなく背を向けているだけだ。相手を悲しませるだけだと知りながら。
『キース』
 朝、玄関で顔を合わせた姉は気丈に微笑んでいた。使われた験しのないチケットを今年もまた、無愛想な弟に手渡して。
『いってらっしゃい。………無理は、しなくていいから』
 本当は来て欲しい、との無言の意志を感じるが当人が口にした訳ではない。僅かばかり責められている気になるのはひとえに自身の後ろめたさ故だろう。
 行けない理由、行かない理由なんて、所詮は無理をすればどうにかなる程度の問題でしかない。こうして取り掛かっている生徒会の業務にしたって明日以降、全員揃った状況で進めた方がどれほどに効率的なことか。
 何故、苦手としているのか分からない。
 好ましく感じているはずなのに避けて通る理由が分からない。
 コンクールに入賞した者たちによる歌の宴。フィシスが独唱を担当する、栄えある舞台に顔を出さないだなんて。
(………終われば、行くとも)
 壁の時計が示すのは開場1時間前の現在時刻。ここからの移動時間は30分程度。
 軽く首を振ってキースはシステムの構築に取り掛かった。管理体制が変わる以上、細かな部分も整備しておかなければならない。最初の段階で手を抜いたら後で苦労することが目に見えている。
 暗い画面を上下にスクロールする白い文字列。コマンドを打ち込みさえすればどのような命令でも聞く冷徹な存在。その姿に―――何かが重なりそうになって鬱々としながら作業を続行する。
 振り仰いだ先の空は暗く沈んでいる。流れる黒雲の間からぽつぽつと零れ出した水滴が窓に染みを作って行く。とうとう降り出したかと舌打ちしながら視線をパソコンへと戻した。
 届く水音が耳障りだ。
 雨は、未だもって苦手である。
 旧生徒会のメンバーは自分が精神科にかかっていた事実よりも、『何故行かなければならなかったのか』との理由を追求すべきだったのだ。そうすれば、こちらの不甲斐なさもより明らかになり、もしかしたら今もまだ彼らがこの部屋にいたかもしれないのに。
「………」
 気が滅入る。頭痛がする。耳鳴りもする。
 休んでいる暇などないのに身体は不調を訴える。いっそ家に戻って寝ていればいいものを、戻った際にフィシスと鉢合わせするかもしれないと考えると足が動かなくなる。
 進むこともできないし戻ることもできない。どん詰まりだ。しかも全ては己の優柔不断さが原因なのだから救いようがない。
 軽く頭を振って気を取り直し、モニターの数字と記号の羅列に視線を戻す、と。
 ガラリと戸を引き開ける音がした。マツカなりセルジュなりが戻ってきたのだろうか。顔を向けることなく作業を続ける。
「手伝いなら不要だ。帰れ」
「そうはいかない。僕の役目は君を連れて行くことだ」
「―――っ?」
 ピタリ、と手の動きが止まった。
 振り向いた先、戸に手を当てたまま眼鏡の少年がやんわりと微笑んでいる。ここしばらく校内で話すこともなく、話す機会があったとしてもそうしようとは思えなかった相手。その存在を意識しなければいけない事実だけが業腹だったが、可能な限り関わらないようにしようと決めた。
 なのに。
「………何故、貴様が此処に居る」
「此処に居るのは僕の意思だ。いい加減、フィシスを悲しませるのはやめてもらいたいからね」
 さらりと理由を告げてブルーはずり落ちそうになっていた眼鏡をかけ直した。
 出入りした経験などないはずなのに、勝手知ったる態度で業務用パソコンをキャビネットから持ち出すと、コネクタを使ってこちらに接続してきた。
「何をする」
「未だ無線でのネット構築には取り掛かれていないのだろう? だったら有線で繋ぐしかない」
「違う」
「繋ぐ理由かい? そんなの、作業を手伝うために決まってるじゃないか。ひとりよりふたりの方が効率がいいのは君とて認めざるを得ない事実だと思うが」
 何の頓着もなく言い放ち、隣席でパソコンの起動を待つ姿はこの上もなく腹立たしい。
 いきなり現れて、いきなり何だ。そもそも生徒会のメンバーでもないこいつに立ち入りを許可した覚えはない。
「君の公約はオープンな生徒会の運営じゃなかったのかな」
「作業工程まで全て明かす等と宣言はしていない」
「身内だけで片付けようとするのはあまり褒められた行動ではないね。僕が生徒会のメンバーだったなら助っ人の登場を心強く感じたろうに」
「口出しがしたいなら今からでも役員に立候補してみたらどうだ」
「まさか」
 冗談じゃないね、と不敵に笑う。
 来訪の理由なんて、仕事に逃げ込んでいる君を会場に引き摺って行くことだけだ。誰に頼まれた訳でもない、君が苦手意識を抱いていようが悩んでいようが知ったことか、僕にとっては彼女を泣かせないことこそが全てだ。
 と、面と向かって言い切る姿に呆れ返るしか術がない。
 しかも、腹が立つことにこいつのプログラミング能力は並みではないようだ。隣人が作業に加わってすぐに、そのことに気付いたキースは無表情の中にも不機嫌な気配を滲ませた。
 バグが取り除かれ、システムが構築され、滞っていた作業が澱みなく進んで行く様は気持ちがいい。けれど、それをもたらした人物を思うと単純に喜ぶこともできない。いまはいいが、生徒会のシステムを一生徒に握られることになりはしないだろうか。そんな疑念も浮かびそうになるのだが。
「安心したまえ。僕は学校の征服などに興味はない」
「だろうな」
 コイツほど支配欲から程遠い人間も存在しないと、そこだけは認めておいた。突如としてこの少年が権力に執着し始めたなら当人の心変わりより先に、風邪を引いて熱を出したか、階段から落ちて頭を打ったか、妙な薬でも飲んだんじゃないかとの疑いを先に抱くだろう。
「基本システムしか構築するつもりはない。後は君たちで勝手に調整すればいい」
「無論だ」
「だったらのんびりしてないで作業に精を出したまえ。時間は待ってはくれないのだ。此処から会場までの移動時間を考えたら一秒だって無駄にはできない。言っておくが、僕は君に付き合ってフィシスの歌を聴けなくなるなんて事態は真っ平御免だ」
「なら、ひとりで行け」
「フィシスが泣く」
「………」
「―――なら、泣かせておけとは言わないんだね」
 それこそがこちらの勝機だと彼奴はまたしても笑った。
 雨脚が強まっている。僅かに表情をあらためてブルーが画面に向き直った。手の動きはブラインドタッチ等と称するのも畏れ多いような高速回転。それを見ていると何故だか常日頃は意識していない妙な対抗心のようなものが沸いてきて、キースもまた通常の倍以上の速さでコマンドを打ち込んでいく。
 おそらくは校内でも一、二を争う優秀なプログラマー。そのふたりが互いに同じ業務に取り掛かったならどれほどの仕事の山も大した障害にはならない。
「キース。管理システムを構築した。後はスケジュールに従って適切に処理を行う」
「メインシステムと繋げ。パターンAだ」
「ノイズが出るだろう? タイムラグが」
「演算処理システムが追いついていない。適度に遅らせなければ却って遅延を生じる。ノイズの除去ならば第7階層の4番目に登録済みだ」
「深すぎる。階層を1つ上げる」
「了解した。上げるならパターンを変数に組み替えておこう」
「次はID取得管理かな?」
「後日に回す。情報保護に関しては生徒会の総意を確認したい」
「わかった」
 目まぐるしい遣り取りと共に画面が凄まじい速さで展開していく。もはや視覚で認識しているというよりも指の動きを頼りに直感的に理解しているといった方が正しい状況だ。打てば響くような会話は心地よかった。自分がそう感じているように、不本意ながらブルーもそう感じているに違いない―――と、確証のない感想を抱いて。
「よし。終了、と」
 ブルーがEnterキーを押して作業の完了を宣言する。
 確かに切れ目はよかった。早速とばかりに片付けに入る相手を横目に、キースは壁の時計を見上げると、目を数回、瞬かせた。
「………ブルー」
「なんだい、キース。君も急ぎたまえ」
「いいや。残念だが―――時間切れだ」
 クイッ、と親指で指し示した時計の針は。
 開場10分前の時刻を示していた。

 

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生徒会総選挙から1ヶ月ほど経過しているとお考えください。

多分その間キースはブルーと一言も口を利いてません。潔癖症なとこがあるから。

ただ、話し始めちゃえば意外と平気なのよね………複雑ー。

 

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